◆◆◆ 420 ★ 考えの足りない絵 ◆◆◆

2005.7.12

「アナタの絵は考えが足りない」と言われたことがある。

そんなこと言ってくれる人は滅多にいない。

「確かに、考える前に出来上がっていますから」と、そのときは返事をしたものだった。

でもまあ、「どうして、考えながら絵を描かねばならないのか?」ということについては、気になったので、ちょくちょく考えるようにしていたのである。

アナタは知らないだろうが、彼の彫刻は、ウッヒョーだからね。アタシは、金ができたら一個欲しい。(今のところ一生ムリっぽいけど)

そういう方が、アタシが嫌な思いをするに違いないと知っていて、あえて伝えてくださった一言なのである。

見込みが無い人に、そんなことを言ってくれたりはしないものである。

片岡球子の展覧会を見たときに、彼女の絵は、シリーズ化されているというのに気づく。

たとえば、富士山は、毎年一枚ずつ描く。

富士山に花の絵をあしらって、着物を着せてあげるのだそうだ。富士山への感謝の絵なのだという。

70歳頃に描かれたその富士の絵は素晴らしい。

アタシは、何分も見て、他の絵を見ては、またもどってはその絵を見たものである。

これって、コンテンポラリーアートなんだろうか?

こっ、コンテンポラリーアートって、何っすか?

何だろーね?

よく解んねーのよ。

球子にはもう一つ、昔の有名人の肖像画を描くという、「大首絵」というシリーズがある。

これはスゴイ。

本人も、「みんなが度肝を抜くような作品を作りたかった」と語っている。しかも、ライフワークで肖像画を描いてゆくんだと。

最初から、「見た人を驚かせる」と構想されているということである。しかも、シリーズだからさ、雑誌の連載みたいな、ワクワク感もアルワケよ。長期で話題になるの。「今年の大首絵でございます。葛飾北斎でございます」みたいなね。

なるほどねえ。

そうすると、日本画は興味ない版画の人の心も動かすわけよ。

豊臣秀吉なんか描くとさ、プレジデントご愛読者様が、みなさん赤丸つけちゃって、注文殺到につき、また描いたりして、豊臣秀吉が15人も産まれたりしているかもしれない。

アナタには、よく理解出来ないだろうけど、この手法は、物凄く卑怯な手口なのよ。

有名人の知名度を利用した、便乗商法。

しかも、著作権切れ。

でも、話題性はある。

よく研究されているなと思う。

ま、本人がそこまで意図していたとは思わないけど、(素が素直で、芸術に真摯な方だから)

奈良の足利ナントカの人物像を見て、その作品の力が素晴らしくて、「これを絵にしたい。」と思ったと言っていたしね。お隣にも違う人物像がいて、3人まとめて描いたら、面白かったんだと思う。

でも、結果的には、楽して作品を沢山作れるという手法なわけよ。(→オジャラの分析によればよ。念のため。)

アタシは、この手法のことは、山本容子の作品を見て、ずいぶん前から気づいていた。

ヘプバーンとか、ジョンレノンとか、日本人が好きそうな有名人の作品(映画のワンシーンとか、そんなやつ)ガンガン描いて、売っちゃうんだもんねえ。

完璧に肖像権の侵害なんだけどね。

でも、欲しがる人は多いの。

そういう、洗練されたシーンを切り取るから、作品の出来もよくなるし、自分の思い出なんかが重なって、見る側の親近感も強いし、雑誌なんかも取り上げやすいわけよ。

しかもさ、パクリだから、いくらでも絵が作れて行くわけよ。

だって、映画のワンシーン、そのまま版画にしちゃうんだもん。(→この言い方はウソで、彼女独自の表現方法で、再構成されてます。)

それでも、それが、版画となり、山本容子の世界になって二次的創造物となり、その著作は、山本の著作物ということになる。

なるほどねえ。

この前、八重洲ブックセンターで見た、彼女の展覧会の版画の値段はA4よりちょっと大きいくらいで一枚13万円。

ま、ボチボチの売れ行き。

不忍画廊のアライさんは、ゴアサさんとか、オオタニさんは、コンテンポラリーアートの人だと語ってくれたのだが、意味が解らないので、引き続き、教えてくれる人大募集。

内容は、世界の音楽家シリーズ。

スゴイよねえ。展覧会全部がパクリなんだもんなあ。

シリーズで、あっという間に、何十枚も絵が描けちゃう。こちらは、肖像権切れでセーフ。

僕は、モーツアルトが好きで。みたいな人いるじゃない。

音楽系の人って、レコードとか、CDに囲まれて生きているから、絵は必要ないんだよね。

ジャケットそのものが、まあ、アートみたいなもんだからね。

でもまあ、思い入れのある作曲家の作品なら、玄関に飾りたい。みたいなね。

普段、絵を買ったことが無い人も、心が動かされるわけよ。もしくは、奥さんがオットの為に買っちゃっても、怒られないというかさ、「ヤマモトヨウコの版画が欲しい。」

オットを説得しようとするが、13万円もする。オットはワーグナーのファン「ワーグナーなら」みたいな流れなわけじゃない?

やっぱ、有名な人の作品というのは、仕掛けを仕込んでいるわけだよねー。

この辺が、コンテンポラリーなんだろうか?

ちと違うよな。

こっちは、知名度を利用した便乗アートだもんなあ。

でもさ、メディアは、解りやすいから取り上げてくれるよね。「ベートーベン、モーツアルト、ワーグナーなど、音楽家が50人」とかいうと、なんか、普段は絵を見ないクラッシックファンだって、見に行ってみようと思うもんなあ。音楽雑誌にまで、情報として流れちゃうワケだもんねえ。

オイシイぜ。

え?彼に言われた「考えが足りない絵」という意味って、こーいう話じゃないと思う?

そーなんだろうか?