◆◆◆ 417 ★ 大島一広さん@銅版画 ◆◆◆
2005.7.9 この作品は、新塊樹社会員の大島一広さんの作品で 「ボクと海と太陽」F6 2005年作成 アクリルです。 |
オオシマさんは、とうとう、アトリエで銅版画のプレス機を見つけてしまう。 もう何時間も経った後なんだけどね。 そんでもって、その辺りに積んであった銅版を一枚掴み取り、 「こっ、これは、どうやって作るんだ?」という話になってしまう。 うーん。アタシの個展の最中なんだけどなあ。 銅版画というのは、自力ではじめたりはできないの。 とりあえず、誰か作れる人が、近くにいないとならないわけよ。 さっきまで「俺が、プチテラスに出す作品を選んでやる」などとエラソウにしていたのだが、銅版をきっかけに立場が逆転してしまう。 オジャラ「アタシはねー、教えるの上手いっすよ。銅版は一枚150円ですけど、一枚アタシにくだされば、タダでいいっす。」(→というように、地道な作品収集は続けられる) まず、銅版に溝を作る話、溝を作るには、直接描画する方法と、化学反応を使う方法があるという説明。 そんで、まず、ドライポイントで一枚作ってみます? などという話になってしまう。 どーせ誰も来てないワケだしね。ま、いいか。 |
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そんでもって、銅版一枚を渡し、ニードルやルーレットで直接描画を始める。 オオシマさんは、わら半紙に下絵のようなものを作っていた。 あちゃ。下絵、捨てちゃったかな。 あとで探さなきゃ。みたいな。 そんでもって、一枚刷ってみる。 銅版画で、人に教えてもらわなくてはならないところは、グランドを塗る所と、インクを詰めた後、拭きあげる作業の部分の2つしかない。 ここだけ、最初にきちんと教えてもらえば、あとは、自力で十分に作ることができるのだ。 作家が作品を作りたいという情熱は、誰にも止めることができない。 |
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初回の一枚は、アタシが刷りの実演をしてみせる。 そんでもって、作品の濃淡とか、プレートマークなどの説明をする。 「プレートマークに曇りが一点でも入ると、もう売れませんからね。売る気で作るんでしょう?プロの作家センセイの作品は、ここで差がつくんです」 などと脅し、何枚か試し刷りをする。 アタシは、自分に頂く分は、高級版画紙に刷ってもらおうと思い立ち、イイ紙を出してくる。 そうすると、書で詩も書いてくれるというので、紙は大きくカットして、水に浸すことにする。 そんなときに、もう一人、展覧会を見に来た人が入ってくる。 「よくわからないんだけど、版画を作ることになっちゃって、散らかっててゴメンねー」 などと謝りながら、3人で猫の話で盛り上がる。 猫好きなのて、彼の猫の特徴を聞いて、一枚描いてみる。 若者は、「あーっ、どうやって描いてるのか、見たかったんです」などといい、満足して帰っていった。 |
もうすぐカメラ買う予定なんで、ケータイ画像でごめんなさい。 |
そうすると、オオシマさんは、「変なヤツに気をつけろ」などと言い出す始末。 アンタの方が、よっぽど怪しいと内心思いながら、アタシは、オオシマさんの版画の新作にワクワクする。 絵が描ける人は、銅版画もあっという間に作る。 道具が一式を揃えるまでが、金的にちと大変なんだよね。 アタシも、銅版画教室でも始めるかなあ。 それが一番儲かるぜ。たはは。 オジャラよ。あの程度の版画で、人に教えようと思うなよ。みたいなね。 アータね、人に教える能力というのと、自分が作品を作る能力というのは違うものなのよ。 アタシは、自分が作り出す能力以上に、人に何かを伝える能力に秀でている。 絵の描き方などは、誰に教えてもらったって、上達などしない。自分の絵を、自分で描けるようにならなくてはならない。それよりも、絵の具の特徴や、技術、画家として、どう考えて作品を作るかを教えてもらえるほうが、よっぽど勉強になる。 そうして、五時を少し回ったころに、終に、オオシマさんの作品をゲット。 号3万円作家さんの作品だからなあ。 画壇会員だから、美術品だし、、、、。ハーネミューレにシャルボネだし。貴重。 やっぱ、イイ紙に刷らないと、作品の価値は何十分の一だもんねえ。 オオシマさんは、ウチに(どーせ一人では作れないから)版を預けてゆくと言うのを、「芸術家は、版の管理を人にさせてはダメだ」などと、アタシにキッパリと言われて、作品を持ち帰る。 濃い一日だったぜ。 アタシの個展って、変な人ばっか来るよーな気がして仕方ないんだけど。どーよ。 |