◆◆◆ 416 ★ 大島一広さん ◆◆◆

2005.7.9

今日は、朝から、自宅でドローイング。

そんでもって、絵を乾燥する場所がなくなったんで、終了。

午後からアトリエへ。

そうしたら、自転車で流れてきたヒトが一人。

彼は、アトリエのイスに座り、思い切りくつろいでいる。

なんでも、(自宅が暑くて居られないので)これから、カメアリにあるバルコにでも行こうと思って、その途中看板を見て立ち寄ったという画家のヒトである。

なんでも新塊樹社という会の会員で、賞もいくつも取っているお方である。

そんでもって、絵の話で盛り上がる。

大島さん「やっぱ、絵は、自分の世界じゃないとなー。」

オジャラ、「そうっすね。やっぱ、そういう絵が何枚描けるかっすよね」

大島「そうだよなー。だけど、売れないぜ」

名刺にあった絵を拝見。

うーん。一枚じゃなんとも言えないけど、買いたいヒトに出会えていないだけのような気がするけどなあ。

セイコさんの時も思ったけど、バルコの展覧会は、悪くないんだけど、唯一場所が悪い。

カメアリまではアシを運ぶヒトは少ないってことのようである。

ま、そうなんだろう。

ちゃんとした筋の場所で展覧会をやれば、セイコさんの絵は、ゼッタイに売れる。

太平洋美術協会で学び、長谷川リコウとか、そのお友達で、リコウよりももっとユウメイな人(名前忘れ)と一緒に絵を描き、酒を飲んだと良く話している。

年齢的には、十分に有り得る話で、そんな話を聞かなくても、彼女の絵はスゴイ。

オオシマさんは、文化勲章を頂いた、ナントカいうセンセイについて絵を習い、今は、仕事も辞めてしまい、バイトをしながら絵を描いているのだそう。

「俺から絵を取ったら何もなくなる」

と話していらっしゃった。

そんでもって、賞を取った100号の絵などは、1000万円で売れるから、売るなとセンセイに言われたらしくて、まだ持っているのだそう。

1000万円でねえ。

一枚売れば、そんなに貧乏しなくても済むのにねえ。

額縁屋のオヤジ説だと、大きい絵は、賞を取った作品でさえ、美術館などに安く売られていると聞く。画家も、保管場所が大変だしね、美術館の方が管理も行き届くし。みたいな。

話にズレがあるぜ。

そんでもって、その後、外にあった100号を完成させ、来年の新塊樹社の公募に出せなどと言われてしまう。

公募というのも、宗教とか新聞みたいに、勧誘があるものなんだ。

出展料一万円は払えないよ。

しかも、オオシマさん、賞をいくつも取っているのに、ちっとも幸せそうじゃないもんなあ。

そんな画壇にいたってなあ。

とりあえず、一回見に行こうとは思うけど。

あれだよね。二科とか、日展とか、そういう所は、やっぱ、メジャーだけど、入選点数も多いから賞の確立は減るもんなあ。ちゃんとした賞が出て、公募点数の少ない展覧会に公募しましょうみたいな世界なんだろうか?

あーいうのは、確率だからさ、賞の数は決まっているワケだしね、(雑誌、公募マニアの愛読者)

オオシマさんは「ウチの公募には、アナタみたいな絵を描く人はいないから、」

と言っていたけど、そりゃそうだよね。

アタシみたいな絵を描く人は、余りいない。

誰にも邪魔されずに、伸び伸びと描かせて頂いている。

街中に張ってあるいくつかのポスターは、柄が違うんだけど、みんなアタシの絵だと気づく。

それくらい、一度見たら特徴を覚えられる、ありがたい絵なんだよね。

しかも、オオシマさんは、プチテラスという区の無料ギャラリーを使い、展覧会をやるように勧めてくる。

あそこではやりたくないんだよね。(駅から遠いの)

プチテラスは、無料なので、主に、スクールのグループ展とか、地元でアートを楽しんでいる人の空間で、プロが発表する場ではないし、ましてや、デビューする場所ではありえない。

しかもさ、アタシは足がないんだよね。

展示品は、台車で徒歩30分を往復しなければならないのよ。

得点といえば、区民の広報誌を通じて皆さまに、展覧会のお知らせなどが配られるため、地元の知名度が上がるんだよね。

どーすっかね。

11月ごろ空いていたら、やることにしようかなあ。

そこで、来た方のリストを取り、個展の案内を配ってしまう。

であれば、悪くないかもねえ。今やってもしかたないもんね。

小さいサイズの作品を10点くらい展示できるのだそう。10点かあ。

はぁ。少な。

もう少し考えよう。

公募系は、今のところ、できれば、画壇と関係ないところのに応募したい。