◆◆◆ 390 ★ オジャラ仏 ◆◆◆

2005.6.9

朝、奈良関係の録画番組を見ながら絵を描いているので、ときどき、絵が仏像になってしまう。

ビデオを少し止めては、お顔や装飾品などをよーく見る。

でも、描くと、ほとんどは省略されてるんだけどね。たはは。

奈良県の仏像には、イロイロな種類があり、どれも国宝級で驚かされる。

仏像というのは、ホントウに人を引き込む力があるもので、有難い。

円空仏を見たときも思ったのだが、力のある人が作る仏像というのは、何時間見ても飽きないものなのである。

ヌードのデッサンを重ねて、やっと仏像も描けるようになってきた。

正確には、衣装のシワや、手の表現が稚拙なので、もう少し練習を重ねなければならない。

こちらの方は、手が沢山あったよなあ。

下絵が無いので、イロイロな情報を一度に取り込もうとすると、失敗してしまう。

毅然とした美しさや、有難いお顔などは、全く及ばない。

でもまあ、いつかは描けるようになるかもしれない。

仏画を1000枚描くと、極楽に行けるという話を聞いたことがある。

写経と同じなんだそうだ。

極楽かぁ。

確かに、当時は、生きるのが大変で、みんな必死に働いて生きて、辛い思いから精神的に逃れるために、極楽があると信じたのだと思う。

そうして、生きるのが大変だというのは、今も変わらないと思わされる。

日本人は、物凄く宗教に大らかな民族だと思う。

正月には、神社に詣で、盆暮れには、寺に墓参り。

結婚式は教会であげ、旅行にいくとなれば、それが、教会だろうと、モスクだろうと、寺院だろうと構わない。

宗教観が欠如しているというか、宗教美術として、考えているというか、観光地になっているというか、なんというか、、、、、。

それでも、寺院なる場所には、どんな宗教であっても、優れた美術品的宗教画などが飾れて、心が癒される。

誰だったかなあ。ムナカタシコウだったかなあ、あいだみつをだったかなあ、とりあえず、絵のためには、宗教のことを知るのは大切だと話していた巨匠がいた。

神社仏閣というのは、人の願いを叶えてくれるという場所なのだ。古寺巡礼は、そういう、人々の根源から湧き出てくる願いというのを素直に表現した番組だと、いつも驚いてしまう。

そういえば、挿絵に描いた、仏様系を買っていった人がいたよなあ。

何で仏様だったんだろうねえ。

絵を選んでゆく方を観察していると、ホントウに、自分の意識とは全く違う場所で生きているのだと思わされる。

アタシは、あまり記憶力がよくなくて、仏像の持ち物とか、髪型で、どんな役割があるのかというのが覚えられないのよね。

ムナカタシコウ風に、女のヌードを描いて、菩薩と言い張るわ。

みたいなね。

あれは、上手いこと考えたよなあ。

仏像ファンって、ホントウに詳しくて、ちょっと髪型とか、飾り物が違うだけで、ガタガタとクレームきちゃうんだよねえ。

絵を描くというのは、大変なことだよなあ。

ハニワを描いていてもそう思うんだよね。

ちょっとした装飾品とか文様、形の違いで、出土場所まで解っちゃうし、間違っていると、質問来ちゃったりするんだよね。あのハニワは、どちらで出土された品ですか?みたいな。(想定)

明日はハニワでも描くかぁ。

踊るハニワの絵は売れるに違いない。

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