◆◆◆ 372 ★ ペン画の習作 ◆◆◆

2005.5.22

絵画のテレビ番組は、王女様の肖像画特集。

マリーアントワネットの像。

似てねーっ。

絵を売るという活動は、絵を描くというのに比較して重労働である。

決断しなければならないことは多く、値段、マットの色、額縁の柄、サイズ、どこに展示するのかなどを考えなければならない。

アタシのように、あとりえで展覧会できる人は余り多くないので、画廊をレンタルしたり、もしくは自分をプロデュースしてくれる画廊を探したりしなくてはならない。

DMのデザインやら、どの絵を使うのかを決める。

どの人に送ろうかとリスティングする。

あとは、出会った人にあちこちお願いしてきていただくような告知活動もしなくてはならない。

アタシの場合は、そのうちのほとんど何もしていないのたが゛、やった方がイイというのは知っている。

何故やらないのかといえば、近々もう少しマシなところで開きたいという希望があるからで、どうせご案内を送るなら、そういうタイミングにしようというだけの話である。

あとりえで展覧会する分には、金は外に出ないし、絵が売れれば絵の具が買えて、また、絵を描く時間を継続できるからである。

またまたエリザベス一世。

なんか気になるんだよね。

表紙の絵の案を作りながら、息抜きに女王の像を描く。

昔、マルガリータ王女をキュビズムにしたことを思い出した。

王女に生まれたからといって、幸せとは限らない。

三岸節子は、日記の中で、「何故絵を描くのか」と問いかけていた。

自分で画家になろうと決意したのに、暗中模索だとか、絵が全く描けないなどという愚痴を書き綴っている。

あれだよなあ。しゃぼんだま青い空には見当たらないフレーズだよなあ。

何故絵を描くのか?

あんまり考えたことないけどなあ。

もし、アタシに絵を描かせているものがあるのだとすれば、それは、環境や資金が十分になくて、絵の道を諦めなければならなかった人の分も描こうということである。

絵というのは、ほとんど売れることが無いので、生活に金がかかる日本では、絵だけで食べられる人は余り多くないのである。

アタシのように無名で、まだ下手糞な人間が、都内で、しかも駅から徒歩圏内に、ある程度のスペースを確保して、毎日絵のことだけを考えて生きることが出来るというのは、ホントウに恵まれているのである。

場所さえあれば、絵が描けて、それが売れれば金になるというのに、場所がないというだけで、絵が描き続けられない人が多いのだ。

才能がありながら、絵から離れた場所で生きなければならない人の分まで描こう。

そういう現実が、アタシに絵を描かせる原動力になっているのだと思う。

もし、描かないのであれば、申し訳なくて生きてゆけないぜ。

ペンや、どの紙に描くのかによって、作品の出来が全く違ってくる。

そうして、わら半紙も悪くないと思い始める。

今のところ「わら半紙」だが、このラインが安定してきたら、和紙に描くという手がある。

和紙にもイロイロあるのだが、こういうタッチで作品を作れるようになると、差をつけられるのよ。

いきなり「和紙利用」だと、破産しそうで白髪が増えるので、もう少し自分のラインというのを手に入れるまで、わら半紙の習作は続けようと思う。

和紙といったってピンキリで、お高いのは、高級水彩紙よりもお高い場合があるもんなあ。

絵が売れてくると、画材も、もう少しイイ画材を使えるようになるわけよ。

和紙だって、一枚5円から、1枚6000円というのまであってね、6000円に描いていたら、2000円では売れないということなわけ。

売ろうとすると、考えることが増えてくる。

ウサギも、昨日よりはよくなってきた。

もう少し構図を工夫して、濃淡にも気を配りたい。

アタシの場合、線にこだわりすぎて、濃淡が足りないのである。

でも、わら半紙に、黒い面を筆などでつけると、紙がヨレヨレに縮み、鑑賞に耐えられなくなるというのは理解できてきた。

和紙でも同じことが起こるかもなあ。

紙の研究をするのに金がかかりそう。

あれだよなあ。この筋(左の絵みたいなヤツ)の版画を、物凄い高い値段で売っていた作家さんがいたけど、今はどうなったんだろう?

同じような絵ばかりだが、100万円前後でバンバンと売れていた。

バブル崩壊後でも60万前後で売られていたもんなあ。

アメリカで買うと15万円位らしいけどね。

日本は4倍はするらしい。

世の中の相場というのを知らないと、人間は損をする。

別に、作家に4倍の金が入るわけでもない。

社会構造というのは巧妙で、事情を理解できた人は、お金を節約できるということになる。

無知につけこんで、ボロイ商売をしているという人達もいる。

しかも、それは犯罪ではない。

価格設定は、お店が自由に設定していいという法律があるし、お客様がそれをいくらで買おうと、それも自由なのである。

日本は自由である。

あとになって、15万円の絵を100万円で買わされたことに気づいたとしても、それは、アナタの勉強不足であり、価値のことを調べもしないで買ったアナタが悪いというのも、自由な社会の掟なのである。

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