◆◆◆ 350 ★ 三岸節子のテレビ番組を見る ◆◆◆
2005.4.22 |
おおっ。今日は、三岸さんの特番。
なるほどぉ。 全盛の頃は、花の絵ばかり描いていたのか。アタシは、そっちが見たいぜ。 アタシが、「マチス風→どう見ても、パクリ系」と呼んだ絵が、番組ではこの作品で世に出たと紹介されていた。 生きた時代が古かったせいもあるけど、彼女にしたって、それは不本意だったと思う。 どうして、その手前に展示してあった、もっと、彼女らしい作品を傑作と呼ばないのか、全くガッカリする番組だぜ。 |
|
若くして画家としての、名声を得た後、60を過ぎて、ヨーロッパに渡り、風景を描き始めたのだそうだ。日本からの脱出なのだそうだ。 売れすぎて、描きたくもない絵の注文に追われるのに疲れたに違いない。 ミヤモト三郎もそうだった。 金がある程度できると、みんな、ヨーロッパに行き、そこで絵を再び学び始めるのである。 今回のは、その、人生後半の作品が中心の展覧会だった。 彼女なりには、「さっぱり風景画ができない。努力が足りないのか、忍耐も執念もいずれも足りないのか」と残している。当時の、納得いっていないけど、捨てるほどでもない作品群がまとまって残っていて、それが来日したということである。 なるほどぉ。 自分では納得がいっていなかったんだ。 だよねぇ。 アタシは、見ている数が少ないせいもあるかもしれないけど、彼女の絵を町で見かけて、節子の絵だと断言するまだ自信が持てないでいる。オギスの絵は間違えない。 たぶん、節子の花の絵は、見間違えないはずなのだ。画家の絵というのは、そういう力が伴っている。 死後に残された作品群を管理する人たちには、作家の思いとは関係なく、点数さえ揃えば、展覧会をしようという流れになってしまう。 それは、仕方の無いことなのである。 全盛期の花の作品たちは、日本全国にバラバラに散っていて、集めるのが大変なのだと思う。 作品を個人から借り出すのには、金がかかるのよ。 |
|
オジャラは、若い頃からのオギスファンで、彼の大きな展覧会には必ず足を運んでいる。 特に、亡くなった時の回顧展は素晴らしかった。 彼の絵が好きなアタシには、三岸さんの絵は、ピンとこなかった。 同じ場所を描いた風景なのに、何でかなあ。 会場が暗すぎたというのもあるかもなあ。 彼女自身も、もっと、自分がでてくるんじゃないかと、制作を繰り返し、「まだ描けない、まだ描けない}」という内容が、日記に残されている。 あの日記の文は素晴らしい。本にして売れば、ベストセラー間違いなし。 画家としての魂を揺さぶられる内容である。 しゃぼんだまあおいそらとは大きな違いがあるぜ。 |
|
そうして、風景をある程度(20年位)描いて、人物を描きたいと、思った矢先に、94歳で亡くなったのだそうだ。 92歳のときに描かれた人物の作品というのは、力が漲り、素晴らしい。 それにしても、写真映りの良い作品群で、そのことにビックリする。 展覧会の会場でみたのより、テレビのほうがずっと良い。 優れた絵というのは、そういうモノなんだと思う。 佐野さんの図録は、もう少し、明るい場所で、シャッタースピードを落として取るべきだったよ。 暗すぎ。 展覧会場は、三岸さんの展示が暗すぎて、イマイチ。もう少し明るくしないと、絵の良さが伝わってこないぜ。 |
|
三岸さんは、日記の中で、「私は作品を描きすぎる。人間が甘くできていて、頼まれれば、イイ気になって、描きすぎてしまう。私の一番の悲劇である」 と語っていた。 描きすぎたことを悔いているというような口調だった。 アートの業界では売れる絵を沢山描ける画家だけが、大切にされる。そうして、売れる絵ばかり描いていると、絵の中から、失われてゆくモノがあるのかもしれない。 誰からも頼まれずに、好きに描いた絵が売れているアタシは、幸せ者なのかもしれないと思わずにはいられなかった。 きっと、画廊やデパートに、「売れる花の、バラやすみれの小さい作品を、何十枚も描いてください」などと頼まれるんだぜ。 そうして、忙しくて、売れない抽象画など、描くことも考えつかなかったんだろう。 花と静物でなりあがり、晩年風景に流れ、とうとう人物を描きたいという思いを残して、帰らぬ旅に出た。 一番描ける時期に、一番売れる絵を描いて名を上げたのだ。画家としての王道かもしれない。 20年もヨーロッパにいて、何故人物を描きたいと思いながら、描かなかったのか? 顔の凹凸が日本人よりも大きいので、絵にしやすいはずだけどなあ。 アタシには解らない。 人物画というのは、クロッキーを繰り返して、積み上げた技術の上で、はじめて見れる作品が作れるのである。 彼女にはそれが解っていたのだと思う。 若い頃から売れてしまったので、細かい鍛錬をする時間が無かったのかもなあ。 実のところ、描いても、上手く描けないから、表に出さなかったんだと思う。 人物を最初に描いたときには、あまりの下手さに呆然とし、多くの人は、描くのを諦めてしまうのである。 日本では、人物画は売れないしなあ。 |
Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara. Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara. |