◆◆◆ 349 ★ 著作権の話 ◆◆◆

2005.4.22

ダイレクトマーケティングワークショップの勉強会に参加する。

今回は、個人情報保護法について。

リスト数が5000人以内であれば、特に対策を講じなくても怒られないらしい。

講師のセンゼイは、起業規模に合わせて、(ムリせずに)展開するようになどと話されていた。

だいじょうぶ。

ウチのDBは、手書きだもん。(オジャラよ、必要の無いセミナーに行くなよっ!)

そんなこんなで、セミナーのあと、みんなで恒例の飲み会になだれ込む。

今日は、テレビ局を退職されたMさんと、著作権の話で盛り上がる。

オ「出版社が持っている図録の著作権料って、いくらくらいなんっすかね?」

M、「商品の売上額とかにもよるよなあ。」

げげっ。商品ごとに違うのか。都度交渉らしい。

オ「テレビ見ながら作品作ったりするのって、どーなんっすかね?」

M「画像をトレースしたりしなければ、特にバレないんじゃないだろうか?」

オ「確かに、トレースしたりしたらマズイっすよね。いくつもテレビ番組を見て、そのイメージとかいうのを組み合わせてつくるわけですけど。」

M「まあ、バレなきゃ何でも構わないって部分もあるけど、テレビ局なんかが(違反すると)、物凄くペナルティーも大きいので、違反しないように、真剣に取り組んでいたよ。事前根回しとか、所有者の許可もらって筋通しておくとか、あとは、ギリギリのところで、クリアーするという内容中心で。」

オ「著作者がわからないことってあるじゃないっすか?」

M「そういうときには、文化庁に著作権料の想定分を供託しておくんだよ。もしくは、写真の出版社に問い合わせてみるのが一番だと思うけど」

おおっ。具体的なご指示。ありがとうございます。

オ「そうっすよね。まあ、売価が安いので、そこまでして商品化するよりも、セーフな線の図柄にシフトして、そっちで行く方が安全ですからねえ。ムリして国宝で作らなくても、いくらでもモチーフはあるわけですし。」

M「オジャラの、オリジナルデザインで行けばいいじゃないか」

オ「そんなの、売れないですよ。国宝だから、人が集まるんじゃないですか。土産物としてつくられるのであれば、売れなければ意味がないですよ。」

M「確かにねぇ。」

恐るべし国宝の集客力。

アタシは、ここ最近訪ねた展覧会で、国宝の威力を思い知らされている。

ミュージアムショップのオババの買いっプリは、凄まじい。もし、デザインが良ければ、皆さん買いたい方ばかりなのだ。

M「著作物ウンヌンより、所有者に筋通す方がカンタンだと思うけどな。品物にもよるけど、(もともと著作権は切れているので)別に、タダでオーケーって場合もあるし。」

オ「商品化するんだから、あとあと、モメない筋でってツメておくことっすよね。商品化した後だと、金がムダになりますもんねぇ」

M「そういうこと。」

みたいな会話。質問すると、カンペキな答えを返してくれる友人がいるというのは、素晴らしい。

まあ、デザイナーに求められるのは、著作権をクリアーしたデザイン作りってことなんだというのは理解できてきた。

ゼッタイに安全を提案できてこそ、プロというものである。

「そういうの、一切気にしないで使ってください。カンペキに大丈夫です。」というデザインを作れということである。勉強になるぜ。

写真の著作権は、東京では物凄くウルサイ話で、デザイナーさんもそれが理解できているから、ほとんどの場合、自分でデジカメ撮影したりした画像を使っている。あとは、ヤバイと思ったら、それは使わない。

行ったことない場所とかだと辛いよなあ。

人の作品を勝手にということが発覚すると、仕事が全部なくなってしまう位のやってはイケナイ世界なのである。

デザインが出来る人なんて、いくらでもいるからなあ。

今日は、絵が一枚売れる。

ひょっとして、今年度初の売り上げだわぁ。

営業していないのだから、仕方がない。

営業しなくても販売できているというのはスゴイぜ。

油絵の画集を作っていて、自分の作品を眺めると、どーしてこれが売れたのか解らないというのも無いわけではない。

バリ時代の方が、圧倒的に上手かったと思える作品も多い。

そうして、佐野さんや、三岸さんなんかを見ていると、絵がどんどんと変わって行き、どちらかといえば汚く、解りづらくなってゆくという傾向があることは理解できた。

それが良いのか悪いのかはまだ、解らない。

佐野さんの展覧会には、装丁の仕事なんかで忙しかったんだと思える量の本が並んでいた。

出版社から仕事が来れば、ある程度収益が上がり、画材を買う金に回すことが出来るのだ。

裸婦の素描の表紙はどれも同じよう。(違う絵なのにだぜ!)

おまけに、和布のコラージュなんかも使って装丁をしていて、行き詰まりから来るワンパターンな作品で、時間内にとりあえず作りましたという作品に落ち着いていた。油画なんかと比較すると全く落ちているのである。

まあ、気持ち的には、バイト程度だったんだろう。

アタシも、イラストの仕事はバイトと呼んでいるし。片手間ということではないが、絵鍛錬や、幅を広げるために引き受けているという部分は強い。

表紙の仕事というのは、物凄く幅広い絵が作れないとならない。以前拝見した真鍋さんの幅広い作風というのは、一体どこから来るんだろうと思わないわけには行かなかった。

才能の違いってことなんだろうか?

努力で手に入れられる世界なんだろうか?

努力では手に入れられない世界というのがあるということなのか?

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