◆◆◆ 345 ★ 新作家展 ◆◆◆

2005.4.9

ヤギ姉さまが参加されている、新作家展に足を運ぶ。

あれだけの作品がタダで見れるなんてオイシイ展覧会である。

じゅんさんもやってきて、その後、ヤギ姉さまと合流。

アートな話で盛り上がる。

一番初めに出たのが、てぬぐいはどうなったのかという話であった。

アタシに聞かれてもなあ。

「泳ぐ杯」は、写真の著作権の話で保留になったという話をすると、全員一致で、誰も訴えたりしないという話になる。

そんなことは解らない。

じゅんさんは、レプリカを見て作ったと言い張れと言い、ヤギ姉さまは、国宝は誰も訴えないに違いないと語る。

もう一人の、アートに詳しく、美術館経営の情報収集も積極的にされているお一方は、アタシが、「模写も撮影も許可されていない展示物の写真には著作権がある話をして、作家が、それを自分の作品製作に使うのはある程度問題ないけど、企業が商品化するのとは別な話だ」

と話すと、「ウンウン」と大きく頷いていらっしゃった。

そうして、今度は、ヤギ姉さまが出されていた木版リトの技法の話になり、続いて、今度は、どこの展覧会に出品するのかという話になる。

今回のヤギ姉さまの作品は、あけっぴろげな作品で、展示する方も、隅の方にようやく展示場所を作ってれたなどというオチになる。

ヌードを描いていると、あけっぴろげかどうかなど、あまり気にならなくなってくるのである。

アタシは、ずいぶんと痩せた女だと感じたのに、皆さん、豊満な美女だという評価で、「豊満」と「痩せている」の間は人それぞれだと思わされた。

ヤギ姉さまの作品は、相変わらず格調高く、中世ヨーロッパの王家肖像画というオーラを発していた。

スゲー。

ヌードの絵を見続けていると、その画量が、どの程度かというのがすぐに解るのである。

やわらかい筆で、薄い絵の具を塗り重ねてゆく技法の中にも、独自の世界が広がって、その光は何百年も輝きを発するだろうという作品である。

正確な筆運びが、人物の白い肌を際立たせる。

そんな格調高い作品を作られるヤギ姉さまは、本当に気さくな方で、そっちの方にも驚かされる。

今後の美術館経営がどうなるんだという話になったときに、宮元三郎のご遺族が寄贈された作品は、物凄く痛んでいたのだという話が出る。

そんでもって、修復に金がかかっただの、画家にしてみれば、置き場が無いから、放置されてしまうのは仕方がないだの、やはり、大切にしてくれる人が持ってくれるのが一番だとか、大きい作品は、美術館しかないとか、そういう話になってくる。

次には、今回の展覧会で、自分はどれが一番好きかという話になる。

オジャラは、キシモトさんという方の黄色い、具象の風景画がイチ押し。

じゅんさんは、モンドリアン風に心が惹かれているみたいで、アタシは、「モンドリアンみたい」と避けて通ったその絵をまた見なければならなかった。抽象画の良さは、まだ良く理解できていないのだ。

絵の好みというのはそれぞれで、好みを曲げてムリに収集をしたりはしない。

ムリしないで集めることが、絵にとっても一番幸せなのだと思う。

ホントは要らないのに、義理で買わされた絵というのが一番カワイそうだと思う。

少なくとも、自分が欲しい。飾りたい。そういう絵だから買ったでなければならない。

その後、日本橋高島屋のトイレで用を足し、ついでに、6階ギャラリーを冷やかす。

アタシは、絵を見て、ひょっとして石踊さんのかもしないと思い、慌てて名前を確認しなければならなかった。

やっぱり、石踊さんの展覧会だった。驚いた。

石踊さんの作品は、テレビで見たとおり美しく、きっと高いんだろうと思わされた。

そうして、値段が高くなりすぎると、それはそれで、作品が全く売れなくなってしまい、画家としての生活が逼迫するのだと思わないわけにはゆかなかった。

販売されていた作品は4号から、8号程度と、日本の家に調度合うサイズで、値段は表示されていなかった。

作品群は、無難な花鳥のモチーフばかりで、売るために売れ筋ばかりを揃えましたという顔で並んでいた。

ニューヨークで展覧会をやっているムラカミ隆の方が、よっぽど幸せだと思わないわけにゆかなかった。

タカシマヤでは、池坊展というのもやっていた。

タダなので、ちょろりと冷やかすことにする。

家元の作品だけは、小さな床の間に書と一緒に活けてあった。

アタシには、活花のことは良く解らない。

展示物の作風は、どれも似ていて、垂れ下がる感じの活け方が多いように見受けられた。

イロイロな花なのに、遠目で、全てが同じように活けられている花の展覧会というのは、奇妙なものである。

植物にはそれぞれ、個性があって、それ自体が美しい。それ以上に美しく活けることができないのであれば、やらない方がマシである。

そうして、これもタダで見た、オカマの活花センセイの展覧会の方がずっと楽しかったと思わされ、活花のことは解らないなりにも、結果には差があるものなのだということは理解できた。

素人だと思って、バカにしてはいけない。アタシは、アタシの絵を見る人が、展示されている中で、常に一番良い作品を選び抜いている現実を知っている。誰も、間違って、下手な絵を選んだりはしない。

評価というのは、そういうものなのである。

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