◆◆◆ 339 ★ 版画展・ラトゥール展 ◆◆◆

2005.4.8

2日程、薬を飲み、良い子にしていた結果、だいぶ風邪が治ったように見えたので、今日は、版画展へ。

桜満開の上野は、物凄い人で、スイカは必需品である。

都美術館では、版画展のチャリティーセールというのに真っ先に足を向ける。

版画展の会員の先生方の、レベルの物凄い高い版画が、安く買えるのだ。

今年は、今まで出されていなかった先生方の作品も多数見られた。

今回は、中越地震のためのチャリティーだったので、東北出身の作家さんなのかしらんと思ったりする。

版画のセンセイ方は、全額持ち出しでこのチャリティーを毎年続けられているのである。

アタシも、毎年買っているので、毎年協力しているということになる。

作田センセイの版画を、販売スタッフのオバサマも動員して、大捜索。(→いつも。アタシが、バタバタと、作品を探していると、他のお客さんもドンドン集まってきて、あれは不思議だよなあ。)

と、全作品点検中に「多賀新」さんという、方の版画を見つける。

自称ヌードコレクターのツボにハマル絵で、絵を見ただけで、この人は有名だと解る作品である。(アタシは、この人は知らなかった。)

絵というのは、それくらい、力が解るものなのである。その作品は、手から離れなくなってしまい、仕方なく、こちらもゲット。

帰りに、ラ・トゥール展経由、不忍画廊に流れて、その話をすると、画廊の方が「どんな絵なのか見たい」というので、今買った版画を画廊の人に見せびらかす。

見せたいのよ。おほほほほ。

アタシの、ウノアキラと、ワタナベエイイチの美少女版画と並べて展示してやるぜ。

ヌード版画が、曼荼羅状態で展示されているあとりえおじゃら。

だいたい、自分の絵よりもコレクションの他人の絵の方が多いというイカれ具合。

絵を取ると、また展示するのが大変なので、個展の最中も、人の作品も半分くらいは同時展示。

しかも、「アタシの絵はともかく、こっちは価値あるから、拝んで行ってね」と、来た人に強要する有様。

はぁ。どんな展覧会なんだよっ。

絵がダメでも、画廊業でやっていけそう。

そんなことより、頑張って絵を売って稼がないと・・・・。汗。

画廊の壁には、多賀新センセイの、個展のご案内ポストカードというのが貼ってあった。

そんでもって、もう、先週で展覧会が終わっていたので、アタシは、「このポストカード下さい」と話すと、画廊の方は、快く下さり、「直筆ですよ」などと教えてくださった。

ホントだ。サイン入ってる。

しかも、柄は、版画展に出されていたヌード作品。

おおっ。ついている。

そうして、画廊ではお茶だけご馳走になり、画廊で情報を入手した、ヤマグチケースケの版画展に流れる。

あと2個位見たいのがあったが、イトーヤに寄って、ウロウロとしたため、時間がなくなってしまい帰宅。

ラ・トゥール展かぁ。どーなんだろう。

アタシのテイストではないということはハッキリしている。人物画でも、色が暗くて、優れた絵画だということは理解できるのだが、飾りたくはない。

まあ、何百年も日に当たらなかったというのも頷ける。おかげで、まとまって良好なコンディションで出てきたから、ネタに困っている美術館を、世界中、巡回しているというムード。

テレビでみた、スリーパー探しの肖像画の番組に出ていた、王宮画家の、王家の肖像画というのは、やっぱり拡張高くて、うーんと唸るものがあったけどなあ。ちと差があったよなあ。

アタシは、あの筋の薄塗りの絵というのは、今まであまり見たことなかったけど、(否、スペインで大量に見たが、覚えていない)情報の量が増えると、写真からでもホンモノかどうか、見分けられる能力がつくということは理解できた。

あまり、取り扱いの間口を広げないというのが成功の秘訣らしい。確かに、何でもホンモノかどうか解るというのより、特徴のある画家を深く研究するほうが、効率がよいのだろう。

書く側の立場で言えば、何百年経っても、自分が描いたと解るような、特徴のある絵を残すというのが画業だということになる。

それは、写真のような肖像画であっても、画家の独自の世界があって、それは誰にも真似できない域だということを示している。

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