◆◆◆ 333 ★ テレビ番組を見る ◆◆◆

2005.424?2

たいした嘘もつかずに、今年のエイプリルフールも終わってしまう。

ヨハネパウロも死んでしまう。

6万人に看取られる大往生だった。

世の中にはイロイロな人がいるなあと思わされる。

今日は、オットと桜の下見でもしながら、浅草界隈をブラブラする。

浅草寺の一角に、永代供養をしてくれる建物があり、ウチのオットは、「ああ、ここで、身寄りのない人が骨を供養してもらえるんだね。」

とポツリとつぶやいた。

都会というのは、思いのほか孤独な場所なのだと思わされる。

しかし、死んでしまったら、明日はない。

イロイロな考え方があり、生き返るという人もいるかもしれないが、生まれ変わった後はハエかもしれない。

それは誰にも解らないし、生まれ変われるのかどうも、実の所解らない。

たぶん、残された人が「死んでも生まれ変われる」と思うことによって、少し心の痛みを緩和できる作用があるということなのだろう。

心の痛みというのは、自分自信が気持ちを切り替えようと思って、前向きに、そのことに取り組みというのが一番大切である。

全く配慮が足りない人ほど、勝手に傷ついていたりして、世の中は奥深い。

この前みたテレビ番組に、里中満知子センセイが出演されていた。

若かりし頃は、彼女の漫画に泣いたり笑ったりしたものだった。

彼女は16歳の時にデビューしたのだそうだ。才能とはそういうものだと思う。以来、漫画家としての王道を歩いてきた。

しかし、それは、作品が優れていたからにほかならない。

アタシが漫画家にならなかった理由は、ハード過ぎてやりたくないという一点であった。

あの仕事は、売れたら売れたで大変だし、売れないままという人多し。

どちらにしたって、私には成し遂げられる気がしなかったということだ。

文に絵をつける程度であればなんとか。みたいな。でも、文も、書き続けるのは性格的に辛そうなんで、絵で勝負しようというところかも。

消去法だったのか・・・・・???マジっすか?

私の場合、マンガは、一話も完成しない可能性があるし、文章は行き詰まるのが目に見えていた。

かろうじて、絵だけは苦もなく、描き続けることができる能力があり、その時間は至福なのである。

この道を行くのが、私の道なのだと思ったのだ。

文だって、この程度(しゃぼんだまあおいそら)であれば、苦もなく、いくらでも書ける。この程度の文では金にはならないということも理解できているということである。

文を書くという仕事は、個人的な才能で書ける話はせいぜい2-3作品だと思う。

あとは、旅に出たり、もしくは、過去の偉人の軌跡を追ったり、テーマを決めて調べたりと、そういう作業が必要になってくる。

里中センセイにしたって、「ラファエロの生涯という大作を書いた」などと話されていて、それは、小説の作家センセイと同じで、ある種の名作をマンガに置き換えるという作業に過ぎないのである。

もちろん、漫画家には、他の能力も必要だ。

文字を映像化し、瞬間を画像に表現し、さらに、マンガとして感情や感動を練りこんで、構成してゆく能力である。(俳句みたい)

絵は美しく、個性がなければならないし、内容は、人を引き込める盛り上がりが必要で、文で表現するよりも、もっと高度な人間研究が必要となる。

それは、読む側のレベルの違いもある。文だけで感動できる能力がある人よりも、マンガの読者は、シンプルな表現に共感する。映像も交えて、文章よりももっと、わかりやすくしてあげないと、読者側が理解できないという別な側面もあるということだ。

彼女のマンガは、他力本願系が多いと感じたことがあった。でも、その壮大なストーリー展開や、世界の歴史を又に掛けたロマンを表現できるのは、やっぱり才能なんだろうと思う。

テレビでの里中センセイの話は、全く的確で、なんて頭の良い人なんだろうと思わされた。

テレビを見ていて、アタマがイイなぁと思う人はあまりいない。

テレビの出演者がバカだと言っているのではなくて、バラエティーか旅番組しか見ないので、仕方ないのである。テレビを見る目的が違うのだ。教育番組なんかは、あれはあれで、人に何かを伝えようという訓練が足りないと思うことが多い。

私が、一番驚いたのは、あれほど有名なマンガ家センセイであっても、

「明日はもっとうまく、自分の気持ちが伝えられるかもしれない」

「昨日よりも、もっとうまく書ける」

という気持ちで、マンガを書かれているというところだろう。

これはもう、感動に値する。

高い志が成しえた偉業ということなのだろう。

実際に、取り組んできた方にしか言えない、素直な言葉である。

この番組では、有名作家さんの名画を見ながら、サトナカ先生他がコメントするという番組だったのだが、ゴーギャンのときには、

(絵画制作が)趣味から生きる希望へと変わって行った。

   ↓

印象派の絵から、自分の絵に変わってゆく

進めば進むほど、落ち目になってゆく。

   ↓

絵で食べられない人の代表のような人生

*-*-*-*--*-*-*-*-*

などという筋の展開なのであるが、里中先生は、

「貧しい人生ではあったが、少なくとも描き続け、生涯絵が描けてしあわせだった。絵描きはそれで良しと考えるべき」

と話されていた。

マジすか?うーむ。

もう一人のゲストのアンザイハジメさんというイラストレーターの方が、

「絵が変わってきて、どんどん売れなくなって、ますます窮地に立たされてゆくのに、どうして描き続けられたんでしょうか?」と尋ねると、里中センセイは、「(誰も認めていなくても)自分だけは、自分の作品を認めているのである。最後は、自分(の自己実現)。描くための強い信念を持っていた」

と、この問いに答えられた。ゴッホもそうだと思う。

ゴッホとの共同生活で、ゴーギャンは、狂気の中で絵に没頭するゴッホの絵を、否定することができなかったと語っている。

最後は、自分。自分の描くための信念ということのようだ。

あーたね。信念だけじゃだめなのよ。結果も優れていたから、今になって、その良さが解る人が、きちんとした評価をしてくれているというだけなの。

そこのところがね、勘違いしている人も多いのよね。爆。

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