◆◆◆ 331 ★ 横山大観展を見に行く ◆◆◆

2005.3.31

ミツコシ本店で、足立美術館収蔵の横山大観展があるというので行くことにする。

うっひょー。

ゴッホ展並みの混雑にア然。

この前、海山十題を見に行ったときに、物凄く混んでいたので、アタシは、今回はどーなんだろうという、集客結果を確認しに行ったということである。

どうしてこんなに人が集まってくるのか。

理由があるはずなのである。

ミツコシは商売上手で、大観の複製画の即売も、かなり広いスペースで行われていた。

何よりも、「院展」が無料で行われていたのである。

大観をみるために、院展の中を随分と歩かなければならなかった。

驚くべきことに、院展もゴッホ並の人の入り。

ミツコシ友の会のミナサマと、院展関係者やオトモダチのミナサマが、相互に展覧会を渡り歩いているのである。

物凄い企画力。デパートの勝利。

院展の入選作は、アタシには、同じ人が描いたのかと思えるような絵ばかりがならんでいて、まずそれに驚いた。

画壇の特徴が出ているのだと思う。

それから、昨日録画した、ミヤサコさんという日本画家の方の番組を思い出す。(確か院展の人)

彼の作品の瞬間表現、動きなどは、ホントウに素晴らしくて、それはテレビの画面からも伝わってくる。

笑えたのは、最初花ばかり描いていたら、画廊の人に、「風景は描けないのか?」ときかれたので描けないと思われると困ると思い、今度は、風景ばかり描いていて、そうすると、誰かに、「人物は描かないのか?」ときかれたので、今度は、人物ばかり描いていたら、「人物や風景の作品は拝見しましたが、やはり、花などはご面倒なんでしょうねぇ」などという人がいたのだそうだ。

それで、自分なりには、一周したなと思ったんです。と笑っていらっしゃった。お客様の要望もこの程度だということである。

彼は、自転車やバスの風景なんかを描いて、それは、今まで日本画の画家が誰も描かなかった(新しい)情景なのだそうだ。

日本画の人は楽で良い。

自転車でもバスでも新しいといわれるなら、ロケットでもロボットでも新しいということになってしまう。

日本画の皆さん、是非便器を描いてみてください。話題になりますから。

みたいな。

たはははは。描かないだろうぜ。日本画の絵の具は高いのよ。芸術がお高いところにある人たちには、便器は受け入れられないのである。

ミヤサコさんは、何度も同じ場所に足を運び、スケッチを繰り返す。

そうすると、その風景や、釣り人、野菜、建物などに愛着が湧いてくるのだそうだ。

なんか解る。

写真などを使わず、地道にスケッチを重ねて作る作品は、ホントウに生きているみたいである。

でも、院展の展覧会では、あまりそれは感じなかった。入選作と、入賞作との差だと思わされた。

絵が似ているのに、表現力や結果に圧倒的な差があるということだ。

アタシには一生入選もムリということは理解できた。まず、自分の力を理解することが大切である。

そのあと、大観の作品を見る。

伸びやかで力のある線は、どこまでも美しい。

そうして、院展のような、画面に凝縮された絵と比較すると、空間を取り込んで、精進を積み上げてきたフォルムがこちらに迫ってくる。

その良さは、口ではうまく表現できない人は沢山いると思うけど、見た人に伝わってくる良さで、ここに集客の秘密があるのだと思わされた。

作品に力があるということである。

これが、ホンモノだよねーっ。

そうして、入選だけを目指して作られた絵というのは可哀相だと思えてきた。

帰りにまた、院展の中を通る。

個性を感じる余裕もない、隙の無い絵には、何も感じることが出来なかった。

稚拙な線を、一生懸命に重ねて、何年もかけて直してやっとここまできましたという絵なのである。

大きい作品を作ることが目標になっていて、線の鍛錬が足りないのである。

目標が入選であってはダメだ。

(アタシは、到底、入選することもないのだけれども、)自分の絵を描かなければならない。

そう思えてくる。

自分の絵を描いた人だけが画家になれるのだ。

横山大観は、展覧会の最後に、

「画は人なり」

画を描くのであれば、まず、土台となる人間を作れ。詩、歌、宗教、哲学などにも触れ、慈を知ること。

人の真似はダメ。常に新しい世界を目指せ

というような言葉で、締めくくっていた。

それでも、自転車やバスは新しい情景の日本画というのは奥深い。

アタシのお友達は、日本画で「台所用スポンジ」描いてましたけど、あれは、やっぱ、新しいってことっすね。

みたいな。

どちらにしても事象の描写から抜け出ることは出来ないのである。それがついていない。

そうして、ミュージアムショップでは、10万円以上の複製画が飛ぶように売れている。

ヨコヤマタイカンがウチにもあると、勘違いする人たち続出だよなあ。

そ、それ、複製画ですって。

60万円以上の複製画(大きい)もあって、あくまでも、奥深い。

デパートは商売が上手いなあ。

ホントに絵を買う人は、あそこでは買わないのだが、それは学習が進んできたということなのだと思う。

そうして、自由に描くというのは、きっと難しいことなんだろうと思えてくるのであった。

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