◆◆◆ 321 ★ ゴッホの番組を見る ◆◆◆
2005.3.22 |
この前の個展で販売していた、見れる絵はほとんど売れてしまう。
残された絵は、もう一声とか、激しすぎる絵ばかりである。 激しい絵は、悪くはないのだか、置く場所に困るのだ。 しかし、出来は悪くないので、他の絵に描きかえるというワケにもゆかない。 |
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アンドレアも売れてしまう。
グッバイアンドレア。 人物というのはいつまでたっても描ける様にならないので困る。 もう少し、自由なフォルムを手に入れたいのよ。 それでも、アタシの絵という気はする。 大切なのは、個性なのだと思わされる。 |
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今日はゴッホの映画を見る。 主人公は、ゴッホの肖像画などに結構似ていたと思う。 弟も、繊細な感じがよく伝わってきた。最後は弟も狂っちゃったみたいなエンディングだった。 ついていない兄弟だった。 アタシの絵を初めて見た人は、ゴッホの絵に似ているという人が多い。 ゴッホの絵を、よく見たことが無いんだろう。 彼の絵は、何故生きている間売れなかったのに、今になって高値で売買されているのだろうか? 生きている間に、今の値段の一万分の一でいいので、売れていたりすれば、狂わずに済んだのだろうと思わないわけにゆかない。 ゴッホにホントウに才能があったんだろうか? 彼を扱った番組では、ミレーや浮世絵の模写ばかりしていた風に思えた。そういった作品は、それ以上のものではない。それ以外の人物とか、風景なんかには独自の世界が感じられる。 でもまあ、模写すると、特に浮世絵なんかは、技術的に物凄くアップするような気はしないでもない。難しいのよ。 素直な人だったんだろう。 受け入れたものは、自分を通さないと、次の絵に進めないのである。 どちらにしたって、売れなかったということには間違いがない。死んだ後に売れたって仕方がない。 |
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もうそろそろ、次の個展の絵を描かないとなあ。
てぬぐいの下絵は、結構大きくて、型の転写をしたあとは、手で色塗りをして完成させている。 細かい部分の塗りというのは、絵の鍛錬になる。(と信じて手で作っている) 自分の思う場所に筆運びが自在にできるようになると、絵は、もっと短時間に完成するようになるからである。 区展もあるだろうしなあ。はぁ。バーバラだな。きっと。 それより、もうそろそろ、税金の申告書類を作らないと。 やることというのはなくならなくて、そういったものに縛られて生きている自分が、狂っているように思えてくる。 |
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