◆◆◆ 280 ★ 画家という職業 ◆◆◆

2005.2.2

アタシが買っていた、『週間・ザ・グレートアーティスト』という雑誌は、尻つぼみではあったが、最初の印象派系の記事は、よく研究されていた。

なるべく、高頻度で買ってもらおうという意図からか、内容は当時の人間関係などが複雑に入り組んで紹介されていて、貴重なポートレートを何枚も使った、金のかかった雑誌であった。

今思うと、これがアタシの財産だった。

この雑誌はバリ島にも持ち込まれて、一時期知人の画家に貸与していたのだが、結局私が絵を描き始めて、また手元に返してもらい、毎日のように眺めて暮らしていた。

この雑誌を読みながら、アタシは、どうしてこの人の絵が、有名になったのかということを常に考えていた。

どんな人が画家になったのか?

どんな人が画家になれたのか?

その人たちには、どんな共通点があったのか?

美しい絵を眺めては、頭の中ではぼんやりとそんなことを考えながら、怠惰なる毎日を過ごしたものである。

その時に得た画家像というのがある。

●まず、絵を沢山残す。

●絵にオリジナリティーがある。その個性は、絵を見ただけで、誰の絵か解るという、解りやすい個性である。

●画家として成功するためには、ある程度の社交性は必要。

●スキャンダルも含めて、メディアで話題になるような私生活。

●制作当時の資料などがある程度残っていて、研究者が研究しやすい環境が整っている。

どんな画家の絵も、全てが傑作ということではない。試行錯誤を繰り返し、自分の世界を手に入れられるのは、ずっとあとという人が多い。

中には、一生手に入れられない人もいる。

少なくとも、アタシの考えた、画家として結果が残せる条件というのは、

●作品のオリジナリティ、

●絵を描き続ける力

●絵を売ったり、画廊に売り込んだりできる社交性

●メデイアに話題を提供・発表できる能力

この四つは必須であると考えていた。

絵の価格は知名度と比例しているのである。

それが、ピカソのように女にだらしがなかったという、品の無い話であっても、後から読む人には、私小説のようで興味を抱かせる。

ゴッホにしたって、感情をコントロールできない程の激しい性格というのが、絵とセットになって話題を呼んでいる。

もし生存していたら、やはり、相手にされることはなかったはずなのだ。理由は、人間としての正常な交友関係を破綻させてしまうような激しい性格で、お友達にはなれないからである。

もちろん、優れた作品という結果を残せるという実力は最低限必要だが、それだけでは、生きている間に、画業で生活できないということである。

もし、生きている間に絵が売れないのであれば、それは職業ではないのである。

そんなことをぼんやりと考えながら、アタシは絵を描いた。

サラリーマン時代は、昼休みに弁当を買い、会議室などで食べた。

昼食の後、小さい水彩絵の具に、毎日一枚とか二枚、絵手紙を描く。

そういう日が積み重なって8年が経った。

絵は驚くほど上達していった。

そうして、97年のスケッチブックに、いよいよ、私の絵らしき個性が出始めたのである。

当時のスケッチブックは、管理が悪いなりにもまだ残っていて、顔とか鼻の辺りに、顕著な特徴が出始める。

この絵が好きとかキライという以上に個性を感じることが出来た。

この絵がもっと安定するまで絵を描いてみよう。

別に、画家になろうなんて考えていたわけではない。自分の絵を描きたいと思っただけである。サラリーマンとして男と同じだと呼ばれ、同じ給料で働き続けてきたのである。

転職するのであれば、今以上に稼げなければ意味がない。

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