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2004.12.4

ペンで描いた作品も、完全に乾燥するまで、乾燥棚に置く

今日は、銅板画のお教室の方と、デッサン会の方が来てくださった。

開けていても2人しか来ないからなあ。

とりあえず、場所悪くて、通行人が物凄く少ないのが特徴で、食い詰めたら貸し画廊にでもしようという案は立ち消えた。

もう少し、目立つ場所に看板を出したいわあ。

そうして、絵など別に見たくない人の方が多い世の中だと思わないわけには行かない。

アタシだって、勤めていた時には、美術館にすら行かなかった。

忙しくて、そんな心のゆとりなど全く無かったことを思い出す。

2004.12.5

そんなこんなで、誰もいない時間には、雑誌の表紙の季節ということもあり、カットも含めて、表紙の案の作品やら、好きな絵をガラスペンとインクで描きなおすという作業を繰り返す。

ボールペンで描いた線よりも、ガラスペンで描く線と言うのは力強い。

そうして、ガラスペンのボテっとしたインクの部分や何かを自分の見方につけて、一枚一枚仕上げてゆく。

今使っているのは、この前バーゲンで買った細長い版画紙。

イイ紙に描くと売れるし、色をつけたりもできるので、ペン画の作品は、厚い画用紙(ブレダン)に描くことにする。

紙の種類は時々変わる。まだ、高級水彩紙という程でもない。

雑誌の表紙のアルバイトも、背景が白抜きということに決定して、ボールペンの線だと弱いので、ガラスペンで描くようになる。

まだ、絵が安定していないのだが、雑誌社の方も、その違いになんとなく気づき、『今度から、ボテっとした感じの線の作品でお願いします』などと言って来る。

良い作品というのは、誰にでも見分けがつき、そうして、前作に戻るということはないということのようだ。

ぼんやりしていると、ペン画の素描は40枚近くになっていた。

それにしてもヌードばっかなんだよね。この絵は、雑誌のカットにも使えないぜ。

前にボールペンで描いた作品を、今度はガラスペンで描きなおす。

ボールペンでの左の絵の描画は、本当に難しくて何十枚も描いたものだった。

今は、どんな絵も、ある程度安定してきて、スっと描けて行く。

ブレダンは、絵手紙で使っている紙でもあり、色塗りにも慣れているので、絵の具の広がりなんかも、かなりイイ感じである。

それでも、欲をいえば、彼女の丸く太った体が、花を包み込むような構図にして、もっと柔らかい絵にしたいと思っている。

花のにおいをかいでいて、ふっと心が和らぐような作品になるまでには、あと何百枚も描かなくてはならないということのようだ。

ペンでの彩色には、まだ慣れていなくて、既に2日程乾燥させてあるのだが、水彩絵の具で色を塗ると、色を引きずってしまい、色がグレーと混じってしまう。

そうして、そういう絵を見ながら、色塗りするときと、しないときの描画を選別したりして、経験値を積んでゆくのである。

マハラ(左と上のモデルさんの名前)は、どうしているだろうか?

彼女はバリ島で大きな事故に遭い、大怪我をした。何の保障もない場所で暮らすということの怖さを思い知った。あまりにも辛い結果で、アタシは彼女の見舞いにも行けなかった。

彼女の毅然とした美しさが脳裏に蘇る。

絵を見ると、それをデッサンしていたときのことや、この絵を油絵にしたこと、ドローイングを繰り返し練習したことなんかを思い出す。

そうして、こんな作品を銅版画にしたいと思っているのに、まだ、銅版画の線を手に入れられていない自分に苛立ったりもする。

個展の最終日で、今日は、ハンコ屋のオヤジと、ポスターを見たというご夫婦、館山から絵を買いに来てくださった方、漫画家のタカハシさんが来てくれた。

大量に人が来るということでもないが、ささやかに個展を開いた甲斐がある。

足を運んでくださった方、お忙しい中、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。

皆さん絵を丁寧に見てくださって、何でアタシが画家を目指すことになったのかとか、昔はどんな仕事をしていたのかを尋ねるのだった。

タカハシさんとは、イラストの仕事が値下がりしてしまい困るという話をする。

彼女ほど絵が描けても値切られるのでは、この先、出版がらみの仕事を増やしても、あんまりハッピーじゃないということのようである。

それでも仕事が無いよりはマシだという話になり、仕事を断るのか、そのまま継続できるのかという岐路に、ドラマがあるなあと感じる。

『マックで働く方が、よっぽど金になると思ったりしてさー。』漫画本を何冊も出版しているセンセイでさえこの有様。世の中、どうかしているぜ。

だいたい、バブルの頃に決めた、イラストレーターの相場価格などというのが、値下がりもせず、そのまま横行しているというのが、市場を混乱させている。

確かに、イラストレーターを守るという意味では大切な指標かもしれないが、何もかもが値下がりしているのに、イラストの価格が値下がりしないというのはおかしい。

それにこだわれば仕事は他にながれるというコトを意味する。

たいして力の無いイラストレーターと、一流のイラストレーターの価格が同額というのも、おかしい。

値切られれば、絵は荒れてしまうし、値切った方は負い目から、文句も言わないという話になる。(でも次には別な人を起用する。それだけは間違いが無い。)

作品作りというのは、イラストであっても、絵画であっても目指すべき道は同じということである。いくらで請け負っても、品質は向上し続けなければならないし、そういう一つ一つの結果だけが新しい仕事を産み出すというコトである。

そうして、絵が優れていれば、値切られたりしないのである。

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