◆◆◆ 2382 ★ 陶芸家 八木一夫 - 2 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015.12.24.

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ナレーター「創造というのは、自分を傷つけること

だと言ってますね。」

司馬「傷つけるということは、どうなんでしょうね。

つまり、これがしたいと思うことあるでしょ。それ

は、何かに甘えている。これすると、アイツが褒め

てくれるに違いない。実際に、ウルサイ評論家を持

ったり、ウルサイ仲間を持ったり。

そういうときには、己の肉片を切って、捨ててしま

う。八木一夫は、傷だらけになっているんですね。

傷だらけになってるというと、変な精神体質の人か

と思われるかもしれないけど、そうでないんです。

酒飲むと、タダやかましいばかりの。

やかましいというのは、造形の話。全部機能するか

、そっから出ていくかという話ばか りである。

そのことしか考えていない。

だけど相手が、着物を着ていると、脱がしたがるだけなんですね。それが厄介なんですね。

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オブジェ焼きから十年後、突如「黒陶」を作り始め

た。

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やはり五条坂(京都の陶村)の子である。

皆、好意は持っていなかった。

だけど、五条の子だから、反逆児と思っていながら

、技法などのサポートは、街のさまざまな人に聞い

て歩いたりして、彼の技術を上げた。

もし、田舎の窯場で生まれていたら、大天狗になる

か、めちゃくちゃに叩かれ、出来上がってない。決

して世にはでなかった。

八木一夫の住処は、五条坂である。

日本文化そのものですから。

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晩年宇治に引っ越して工房を構える。


「原始のものを見ると、まるで天の出来事のように

感じさせるのは何故だろうか。」

彼は、五条坂に生れたから、何とか生きてこれた。

教師をしていたからこそ、やっと生きた。

何となく、八木さんという人は、今から五百年後に

、地球が産んだ造形作家として、残ることを期待し

ていたか。

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八木さんは、頑固な男。自分の人生をシッカリ決め

ておりまして、余分なことはしないと決めていた。

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八木一夫の造形について、一晩語っても、誰にも分

からない。

少なくとも、彼が誰の真似もせずに、

(芸術ですから、科学的な触媒と しての影響を受け

るというのはあるけれども、)

誰の真似もせずに、八木のセンチメントを造形化し

たのは、八木一夫でしょうな。

ナレーター

五十年後、八木一夫の位置はどういう位置にいるん

でしょうか。

司馬

位置づけられないでしょう。

陶芸でもないし、彫刻でもない。

八木一夫は、彫刻と陶芸の間にいる。

彼は、五条坂に生れたから、何とか、食べてこれた

けど、

(八木は教師をしていた)

オマエ、何で、教師なんてしているんだ。これだけ

のものを作れるのに。

八木は、教師をして、やっと食って、それで、陶芸

窯を買ったりした。

なんとなくね、八木さんという人の、五百年後に、一人の造形作家として、残っていくか どうか、残すことを期待していたのか、(われわれの手で)残すことができたら。それが素晴らしい。

八木さんは、タダ(作品を)作っただけです。

スペインの、原始時代の、洞窟の牛描いた壁画とか、牛牛というもの、原始時代の人たちは、牛の書き方を知らなかったけど、牛を描いた。

絵画は、真似師の歴史ですから。

誰かに描き方を習うこともなく、牛を描き、それを、見た者が牛だと分かる。

それはね、八木さんみたいな感じがする。

洞窟の中に絵を描いた、大先祖。

八木さんも、ワケわからんけれども作った。

それを、残すのは、私たちですよ。(最後の方はカットされていたので、アタシの類推)

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