◆◆◆ 2369 ★ 鉄の彫刻家 若林 奮さん ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015.1229.

若林 奮(いさむ)さん 鉄の可能性を引き出した彫刻家


わたくしは、自分が自然の一部であることを確実に知りたいと考えていた。

その確認のためにさまざまな自然を観察し、鉄の彫刻を作ることが必要であった。

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*鉄の彫刻家。(*°▽^*)

鉄は国家なり。

鉄はさまざまな製品に使われる。

車の造形などに憧れて、東京芸術大学に入る。

鉄を削った瞬間の見たこともない輝きに衝撃を受ける。

鉄の持つ底知れぬ生命力に惹かれる。

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世田谷美術館館長談

「鉄の持っている常識の範囲をはるかに超えた、

鉄の可能性を引き出した。

素材を彫刻の自分の感性、考え方、フォルムに従わせ(造形す)るのではなく、

緊張関係の中に、自分の考えと、素材との対話、緊張させる。

物凄い緊張させることによって。

自分でも予測のつかない未知の領海が見えてくる。

それが彼の仕事をミスティックにしている。

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ピラミッドやフランスの壁画を見て歩く。

旧石器時代の洞窟遺跡を四十カ所も見て歩く。

絵が放つ、原始的なエネルギー

地層や湿度などと密接な関係を持っていることに気付く。

自然と彫刻とのかかわり。自分と自然とのかかわりを問い直す。

「美しいものを見つける法則は自然の中にある。美しいものを見つけるには、自然を記録しなければならない。」

自然と自の間にあるものを「振動」という表現で表そうとする。

自然との関係を(金属の)層で表す。

彫刻は、若林にとって、自然と自分の間にある物差しのようであった。

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彫刻っていうのは、一体何かと常に考えている。

時として大問題になる。

普段、普通に作っていれば作れないことはないんだけれど

(一旦)作れないと思いはじめれば何も作れなくなる。

もし作れるとしたら、それは何か。

自分と(その人の)間にあるものが彫刻なんだろうと思う。

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鉄。人が生きていくために非常に大切なもの。

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毎日ドローイングを重ねる。

およそ九千点。

モチーフに犬が沢山出てくる。

娘たちに作った玩具やドールハウス。

それらも彫刻家の作る作品。

90年代は、錆びた鉄の塊のような作品。

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植物は育ち鉄は朽ちる。植物と鉄との融合。

極めて深いところまで考えていた人。

考えるための彫刻。

鉄は世界中に充満している。

宇宙全体に充満する元素の流れを感じる。

そういう風に感じられる作品というのは若林さんしかいない。

2015.12.16.

本日、ペンキ日和のため、屋根のペンキ塗り。

本当は半分にしようと思ったが、ほぼ全部塗りきった。

次回は、ペンキ屋さんに頼めるように資金繰りが改善していると思いたい。

大した面積じゃないんだけどね。

庇が少し残ってしまう。

ペンキの塗りというのは、上から下に塗ってゆくので、

自分の出口を確保しなくてはならないのだが、

上の方は結構な勾配があり、後ろ向きに塗るのは危ないので、下段の塀まで塗り進みそれを伝って地上に降りてみた。

やればできるもんね。

クノイチになった気分。

別段怖くはないけど、登りたくもない。(*゚▽゚*)

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