◆◆◆ 2349 ★ 中島清之先生の展覧会 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015.11.20.

本日、横浜を襲撃。コウノイケさんの展示(鴻池朋子展「根源的暴力」 |神奈川県民ホールギャラリー)を見ようと行った場所が、横浜市民ホールで、違う展示。。。。。。

マジか。

立派なホールが羨ましかった。

地下から三階までを貸し切る画壇系の神奈川グループ。

絵画というのは、どうならなければならないのかを考えさせられる。

大きい絵を三枚も出している人が何人もいる。

売ることをもっと意識しなくてはダメだ。

アタシは、そんなことを考えながら、予定にしていなかった展示を見て歩く。

桜木町駅まで坂を下り、地下鉄に乗ろうと道を尋ねる。

地元の人なのか、バスの方が便利と丁寧に乗り場や、バスの番号まで教えてくださり、県民ホールまでバス移動。。。。。

鴻池さんの作品は、テレビで数点拝見したことがある。

この前、高橋さんのコレクション展でも、一点か二点見たきり。

まとめて見れるチャンスだと思った。

震災後作品が作れなくなり、各地を放浪したなどとガイドが書かれている。

文章のコンテンツの展示もあった。

画家で有名になった人は全員文も書く。

特に現代芸術は、自分の作品について、文でも解説できないと、理解してもらうことが難しい。

それにしても不思議な空間だった。展示場というよりは、劇場用の待合ホールやパーティーをする場所のような感じ。

低予算の上、現代芸術家としては駆け出しの彼女の作品を展示してくれるところが無かったんだろうと内心感じた。タケシさんも、日本の美術館は、パリの現代美術館で大人気だった展覧会の巡回に、どこも貸してくれなかったとテレビで語っていたのを思い出した。

彼女の作品は、過去のはもう売れちゃっただろうしね。手持ちのも、きっともう、マニアが買っちゃってるんだろうけど。(*゚▽゚*)

作品については、

石膏粘土的な材料で作られたオブジェ。その作品を陶芸に昇華させた作品。

皮に描かれた作品、頭巾コートや、和服風。

雪国の女性達の手によるパッチワーク。

所々に、民話とかに影響を受けたという話や、ムービー、音声、素描などが入り込む。

出口に、展覧会の図録の予約表。

ご本人のサインが入るらしい。

ので購入予約。

現代芸術家として、自分がどうならなければならないのかを考えるチャンスになった。

別段、アタシは、自分の方向に慢心しているわけでも、否定しているわけでもない。

ぶっちゃけ、作品は、手当たり次第に出来ている。

作品のクオリティが、彼女の作品と並んでどうかという話になれば、それは、作品にもよる。(作品が極端に小さいという別な事情もある。全く売れないという別な事情から、置く場所がないからである。)

アタシの作品の方が、造形が混んでいるものが多いからね。

それ(創作の軌跡)は、もっと排除しなければならないのか、個性を入れるのか入れないのか。

試行錯誤の時間が続く。

ただ、彼女とアタシの目指している場所が違うということは、ハッキリと理解できた。

別な人間なんだから、仕方ない。

作家は、それぞれが、自分の目指すべき場所を決め、そこに進んでゆくというのが、創作活動に他ならない。

ホール1階の文章コラムの展示室に、陶芸作品が展示してあり、触ることができた。ザラついた素焼きの部分と、ひんやりした白い釉薬の感触をまだ覚えている。

そのあと、みなとみらい、横浜美術館で、日本画の中島先生(千波パパ)の作品展。

 日本画の格調、新しい表現への挑戦、そして、花鳥への回帰。

そういう軌跡のみてとれる、素晴らしい展示だったと思う。

特に、50号以上の大作の出来具合は格別だった。

アタシの創作の幅が日本画に入ったということもあるんだけど、その前から、日本画は、積極的に見て歩くことにしていた。

理由は、何故いいのかが、わからなかったからである。

諦めず、足を運んだ成果。

「鏑木清方と、上村松園は別格。」

それだけかな。

橘小夢先生の作品も、個人的には好きだけど、大衆芸術ではない。

画業というのは、業であり、趣味ではない。高く売ったものが勝ち。

それは、良い絵を描いた者が勝つ。

そこだけは間違いがない。

中島先生の作品は、中頃から、具象や抽象と混じった作品、風神雷神などの人気のモチーフ。(別な絵が下に書かれている作品の上にプラチナ泊)

など、新しい日本画表現への挑戦もあった。

それが、初期の格調より落ちるから困る。

新しい表現であったとしても、初期より良くなっている必要があるのは、誰が考えても理解できる。

「画家の苦悩」という世界が流れて、晩年は、また花鳥に戻る。

絹よりも紙に描かれた作品が多いのも記憶に残る。

上村先生とか、鏑木先生は、その、水彩画のようなマチエールもあるけど、絹に描いていた。

紙に書くと、色や線がより硬い気がする。

それだって、芸術家とすれば、新しい表現に挑戦しないこともできない。

画家なのか、芸術家なのか。

それは、残した作品により、呼ばれ方が変わるということになる。

なるほど。

ここのところ、モヤモヤしていたイロイロなことが、心の中で整理できてきていると感じる。

 この前、イラストの先生方が、ウチで日本画の材料で少し遊んでいったとき、「日本画の人は、絵が下手だから、イラストの人は、食い込める可能性あると思う」

というアタシの話の理由を、みなさんにお話したんですけどね。ちゃんと描ける人は少ないです。

中島先生は別ですよ。

描ける人はちゃんと有名になってるし、それ以外は、イラストの人より描いてる量も稼いでいる金額も低いって話になると思います。 いやまあ、イラストだって、そんなに稼いでいる人は多くないですけど。(*゚▽゚*)

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新さん「日本画に食い込んだイラストの人って?」

おじゃら「全体的な話です。日本画の人は、古典やセンセの作品の模写から入りますから、イラストの人みたいに、もともと絵が上手くて、好きでずっと描いてるとかいうのと違うんですね。絵の持つ、引き込む力とか、わくわく感なんかは、イラストで稼いでいる人の方が高いというのが個人的な感想です。絵具が使いにくいですけど油彩ほど乾くのに時間かかりませんからね、日本画に入れば、原画が高く売れる人も出てくるだろうというのがアタシの予想です。(*゚▽゚*)」

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