◆◆◆ 2317 ★ 片岡鶴太郎展 ◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
10月9日 片岡鶴太郎展 @ 汐留ミュージアム 閉館ギリギリの5時30分入館。 小さい美術館なので、見るのはどうということはない。 この展覧会は、テレビ番組でも紹介されていて、最新映像と、鶴ちゃんの新作のコラボなどが楽しめるというのが売りである。 アタシが何を見に行ったのかといえば、作品のクオリティ、グッズの作られ具合や、画題などをである。 おじゃら「この人は、幸せな画家だよね。まだ、絵を描き始めて、たいして経ってないのに、もう、美術館もあるんだもんね。」 竜「そうだよねー。素直に描かれた絵ではあるけど、この絵じゃ、山種には入れないよね」 *山種美術館は、日本画専門の美術館です おじゃら「嫌さ、タケシさんと、鶴ちゃん、どっちも絵を書いてるわけじゃない。木梨だって、上野の森で展覧会してたけどさ、、、、、」 竜「え? (タケちゃんもオペラシティでやってたじゃない。」 おじゃら「テレビかなんかでかな、日本じゃ、どの美術館も場所を貸してくれなかった。って愚痴ってたからね。しかも、ショップにも、こんなにグッズなかったでしょ。カレンダーとかさ、てぬぐいとか。」 竜「日本画だからかしらね。絵も解りやすいしね。」 おじゃら「うーん。幸せな画家なんだよ。彼とタケちゃんの違いは、一体なんだろうって、いつも考えるのよ。同じタレントなのにだよ。タケちゃんのが人気あるでしょ。」 竜「あ゛ー。そんなこと、考えたことなかったよ。イロイロな見方があるもんだね」 おじゃら「現代芸術と、日本画の違いなのかしらね。」 |
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どこぞの有名旅館かなんかで、鶴ちゃんが新作に挑む映像がVTRで流れる。 くーっ。作家先生ぃぃぃぃ。というオーラ。 以前、カレンダーなんかを拝見したときには、今回の絵よりもっとイイと思ったけどな。 見た目、「片岡鶴太郎でございます」という個性もあった。今回は、そういうのが消し去られていて、絵手紙のようだとも。 竜「デパートで展覧会やるぐらいならね、まあ、(この程度のクオリティでも)いいかなと思うけど、美術館というのはどうなのかしらね?」 おじゃら「まあ、鶴ちゃんは、頼めば断らないんじゃないの。ブローカーが営業もしてるんだよ。グッズなんかで儲けられるからね。」 ヨーカドーやハンズのカレンダーですら、鶴ちゃんのがあったのには驚いたもの。 これは一重に、絵の善し悪しではなく、ブローカーの営業能力ということになる。 図録も何冊もあったしね。 ポストカード大量。今回展示されてないやつまで。。。。 ビックリ。 |
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それにしたって、絵が荒れていることには間違いがない。 急いで描きました。 みたいな内容で、絵が売れ始めて、絵が荒れないというのは難しいと再確認。 良い絵ばかり作るというのは難しいのである。 売れれば、頼まれて、どんどんと描く。 そうすると、良い絵のことを考えなくなる。 悪い絵でも売れてしまうからである。 なるほどね。 そういうことか。 多作の作家の作品のクオリティにばらつきがあるのは、まあ、普通のことだけどね、「これはないな」というものだつて、美術品になれば、それなりの値段で売買されるのがこの世界である。 |
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VTRでは、絵は我流だと話されていた。 まあそうなんだろうと思う。 アタシだって、我流である。 だからこそ、先達の優れた作品に学ばなければならない。 精神的なものが伴わないと、絵というのは飽きられてしまう。 マーケットから見放されたら、そこでオシマイなのだ。 |
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三岸節子先生が、「私に何かを助言するものはいない」 と語っていた。 そう。 絵が売れるようになれば、誰も何も言わなくなる。 誰かに何かを言われているうちは、まだ幸せということなのか。 作家というのは、結局は作品でしか評価されない。 知名度とは別な場所にある。 木梨さんの作品をググル。 おお。こういう作品なのか。 なるほど。確固たる個性みたいなのが不足しているし、完成度が低いわね。これだけ作れるのであれば、もう少し作り進めば、完成度は上がってくると思う。 鶴ちゃんの作品は、急いで作りましたみたいなのが出てきちゃっていて、そこがついてなかったな。 まあ、まだ長生きしそうだからね。 絵というのは、並んだときに、勝つか負けるかである。 有名作家先生の絵というのは、下々の絵と、絵のオーラの量が違うため、同じ部屋に並んだりはしないのである。 まあ、そういう、巨匠の部屋に入れれば、一流ってことになるわけで、何処を目指すのかを間違えると、絵は、悪くなる一方である。 |
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