◆◆◆ 2316 ★ 展覧会巡回  ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

10月9日

日付が少し遡るけど、先日、展覧会を巡回。

版画展 → 長島充展 → ディン Q・レ展 → 片岡鶴太郎展。

チョイスが支離滅裂であるが仕方ない。

片岡鶴太郎先生の作品のあとは、課題のこる汐留の商業ビルにてベトナム料理。

どんな課題かといえば、いつも、宴会のスタートが4時ぐらいのため、未開拓の店大量を、なんとか制覇したいという課題である。

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展覧会の感想。

版画展は、さすがのクオリティ。会員の先生方の力の入った作品は、創作の奥深さを教えてくださる。

最近では、デジタルプリントの入選作もあり、版画という幅が広くなっていると感じた。

まあ、デジタルプリントは、版画とは分けるべきだろうというのが、個人的な意見ではある。

でもまあ、芸術として正しい評価を求めるのであれば、画壇系の展覧会で賞を取るのが手っ取り早い。

嫌まあ、芸術としての正しい評価をするのは、いまや画壇ではないね。

画商なのか?

それとも、コレクターなのか。

美術館のキュレーター。

大衆。

。。。。。。。。。。。。。。

考えるのはよそう。自分の作品が芸術か芸術でないのかは、まず、自分で識別できなければ、自分で芸術を作ることは絶対にできないのである。

人々が芸術と呼んでいるものを、コツコツと拝見し、この作品を、誰が何を以て芸術であると評しているのかを、先入観なしで学ぶこと。

学び続けること。

そのことは、大切である。

私は、長らく、そうやって、イロイロな作品から、芸術や芸術性というものを学ばせて頂いてきた。

美しい絵を美しいと評せるようになったことは、大いなる進歩である。

版画の話に戻る。

同行の竜さんとの会話。

おじゃら「欲しいものが一枚もないわね。」

竜「うーん。版画は、モノトーンで、飾るには、ちょっと暗いかもね。」

おじゃら「白とクロの絵なんて、小さい家に飾ったら、部屋暗くなっちゃうよ。」

竜「そうねー。でも、やっぱ、版画は黒なのよねー。いかに深い黒を出すのかだと思うわ」

おじゃら「まあ、そういうもんだろうね。」

→アタシは紫か赤でしか摺りません。キッパリ。あ、ときどきブル。

そのあと、長島先生の個展へ。

フクロウが沢山並んで可愛かったです。

版画展にも出展されていたフクロウちゃんと、目が何度も合っちゃいました。カワユス。(*゚▽゚*)

おじゃら「先生、幻想絵画には戻らないのかしらね。あの、モロー風の作品、ステキだよねー。」

竜「最近、鳥が多いよねー。幻想絵画もステキなのにねー。」

という会話をしながら、六本木に移動。

「11111111111111かきはあ」

→ ニャンコによる書き込み

猫なりに、芸術にモノ申したいようである。

森美術館の現代作品の展示は、いつもクオリティが高い。

おじゃら「森美術館は、外さないわね。」

竜「クオリティ、高いよね。」

おじゃら「キュレーターが、現代芸術のことをキチっと理解できてるんだよね。きっとね。」

という会話。

アタシ達は、かなり幅広い作品を二人で長らく見て歩いているので、コメントは厳しい。(*゚▽゚*)

今回のベトナム人アーティスト、ディン・Q・レのアジアにおける初の大規模個展となる「ディン・Q・レ展:明日への記憶」は、内容が戦争に終始しており、暗い気持ちになった。

一番辛かったのは、首が二つある人形が並んだショーケース。現地では土産物店で販売しているらしい。

首が二つあるシャツとか、手が三つあるシャツなんかを販売する映像作品もあった。

どこまでがリアルなのかも分からないが、戦争の傷跡という遺産が観光地になり、同情した金持ちが、それらに金を払うという流れは、ついていないという気持ちでイッパイになった。

戦後40年というのは、戦後70年の日本とは、大分違うものなのだと思わされた。

私たちが平和ボケという気持ちになるのは仕方ない。

それにしても、観光地が、元戦場という現実は、ベトナムがまだ発展途上なのだということを示していると感じた。

戦争や、憲法改正の賛否というのとは別に、日本が、他国の戦争への武器などを輸出して経済発展したという事実は忘れてはいけないと思う。

戦争は儲かるし、それで儲けている人がいる限り、戦争は無くならないのだということも知るべきである。

おじゃら画廊

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