◆◆◆ 2305 ★ 伝統工芸展 第62回 ◆◆◆
個人的な感想にはコメントの前に*印
伝統工芸展 第62回 2015年9月25日 12:21 戦後、失われつつある伝統工芸を守るために創立される。 伝統の中に新しい感性が光る作品。 そう、「新しい」そこがキーワードである。 今年の、人形部門の受賞作はステキだった。 やわらかいフォルムの女性が伸びやかに坐している。 アサヒが上るというのを表していたとは気付かなかった。 女性だからこそ描ける普遍の舞姿。 |
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高松宮賞 カイワレ大根、、、、、なんか、雑貨みたいって思ったんだよね。 まあ新しいといえば新しいし、現代の人を引き込むといえばそうなる。 国立博物館に並ぶかといえばビミョーだが、最も名誉ある賞だからね。 可能性はある。 銀泥彩磁 日常器の中にありふれた野菜が描かれている。 カイワレ大根 「どうみても主役にはなれないモチーフ。」作家談。 上に緩やかに伸びる、しなやかラインやフォルムが美しい。 *おおっ。美しいデッサン。 下絵(かいわれの葉)と同じ形に切り取った、和紙の切り紙。 これを下絵の上に重ね色付け。 こうすると、和紙の部分だけに色がつき、くっきりとした発色を作れる。 *スゴイな。早速ぱくるわ。 磁器への絵付けは難しい。 銀泥を塗った上に、さらに金パクを押しつけて焼くと、金が銀の下の沈んで、 白い茎が浮かび上がる。 なるほどぉ。新技術だったんだ。 「カイワレはないわ」と思ったアタシの勉強不足です。申し訳ありませんでした。 というように、受賞作品というものには、新しい独自性が必ず潜んでいて、審査員は、それを見逃さない。 おじゃら 倫子 白兎様、前衛芸術はほぼゴミでできています。 |
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金工師 1枚の板が立体に立ちあがってゆく様が面白い。 通常は1枚の板をタタイて立体を作り上げる。 2種類の金属を1枚の板にして張り合わせ、器に豊かな表情が生まれる。 *耳栓。 普通金工をするものは、継承者であったり、守るべきものがあるんでしょうが、 私は、自分の意志で勝手に始めましたから、そういうものが全くないんです。 そういう(自由な自分が)何を作るべきかを考えたときに、技法そのものを作ってしまえばいいんじゃないかと。 技法が新しければ、新しい表現ができる。 −−−−−−−−−−−− *アタシは、何の知識もなく、昨日はタダ見て歩いてしまったが、 話を聞き、映像を見れば、その作品に野心を感じる。 世に成り上がり、稼ごうという野心である。 伝統工芸が、芸術と違う所は、「術」ではなく、「工」である。 という部分である。 「工」すなわち、テクノロジー。技術である。 そして、そこに「芸」という文字が付けば、それは、見るものを楽しませる。 という意味を含むことになる。 「工業」と、「工藝」の違いである。 私は、工業も好きである。 一杯稼げるマジックが含まれている。 −−−−−−−−−−−−−−−−− あやおりがね 埼玉県 家出さんの作りだした技法。 2ミリ程度に細長く切った赤銅の縦糸に、四分一という、銀と銅の合金を横糸に編んでゆく。 2種類の金の硬さが異なるため、金属を編んでいるときに、柔らかい地金が切れてしまう。 叩いて延ばす時に、バラバラになったこともある。はじめはそいうことは分からなかった。 微妙な板の隙間には、ガスで銀蝋を詰めて板状のものをつくる。 スゲー。 1カ月、100000回も敲く。 この作品が金属とは思わなかった。 チラリと見て通り過ぎたことを申し訳なく思います。 −−−−−−−−−−−−−− 乾漆 塗り立て 研がずに仕上げる技法 −−−−−−−−−−−−−− 切り子の花器。 これは、本当に、宝石みたいにきれいだった。 内側の青色が、上に伸びる透明なガラス部分に反射して、全体がキラキラとしている。 −−−−−−−−−−−−−−−− 茶釜。 アタシは、蓋ばかり見ていた。金属に漆だからね。 トリの取っ手のついたのを作りたいんだよね。 −−−−−−−−−−−−−− 鈴木さんの織部焼。 スミマセン。見逃しました。 「自然の持つ生命感を器に宿したい。」 織部の緑が、植物の青葉のように美しい。 「新緑の頃に新芽が宿り出る。」 織部の顔料に、木の灰や銅の量を特別に調合し、テストを繰り返す。 釉薬が流れ落ちてたまるときにできる濃淡にも着目。 *試行錯誤なんですねー。 でき上がった作品には、素人のアタシには、そんなこと、微塵も感じないけど。 その筋の専門家が見れば、「これはどうやったんだろう。」「新しい表現だね」 「試行錯誤を一生懸命に重ねたね」 というのが分かる。ということになる。 *花器のフォルムは、中盤で一回、エッヂを作り盛り上げ、上から垂らした釉薬が、一度 そのエッヂで貯まり、また下に流れるときに、濃い色になる。 という造形。厚く塗られると、色が青に代わるという特徴を生かす造形である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−
おじゃら 倫子 |
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友禅訪問着 菱 いやー、この着物は美しかった。 どのお着物も素晴らしかったけど、この作品は、地味に見えるけどステキだった。 −−−−−−−−−−−−−−−− 紙胎キンマ青嵐盛器。 安藤源一郎 和紙で作った器に漆を施す。 キンマという高度な技法で描かれたテクニック。 紙と漆の融合。 |
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紅型 むるぶし 満天の星という意味。 軽やかな薄い布に美しい星の文様が広がる美しい着物。 菱もそうだったけど、着物の前で足が自然と止まり、その美しさに息がとまる。 38歳。最年少の受賞。 塗る絵具は顔料。色あせしない。沖縄の日差しに生える鮮やかな色彩。 *代々の紅型工房の御曹司。才能というのは、守るべきものがあるときには、制限される。 制限されない場合もある。 結局、作られた作品(の良し悪し)が全てなのだ。 着物などは、広げて並んで展示されているという辛さ。 入選はどれも素晴らしいけれども、着たい着物、そうでない着物。好みや年齢、予算という制限などについて 考える。 どうせ1枚も買えないのだが、そういう日が来ることを思うことは悪くない。 紅入り藍型(ビンイリアイガタ) 紅型の布を作り、一部に藍を指す技法。 昔の布などを参考に、技術を復活させる。 女性の髪の毛の筆。 紅型の絵柄を糊で保護して藍にトボンとつけるが、 何度も染めると糊がはげて、紅型の絵柄が壊れるため、 素早く広げて干さなければならない。 藍の濃淡を作るため、藍には三度つける。 この技法を完成させるまでに七年かかる。 七年の努力が、一枚の布の上に広がる。 審査員は、布一枚をみるだけで、それ(苦節七年)を見逃さない。 *伝統工芸士は、まず、親を乗り越えないと、次の伝統工芸師にはなれない。 大変ねー。 金工師の家出さんの言葉 「僕は勝手にやりはじめたから、守るものがない。」 というのは、聞こえはいいけど、地盤がないことは、大きなハンディキャップである。 ヒイ爺さんの代からみんな伝統工芸師だったというネームバリューとの戦いになるからである。 私がこの展覧会を見に行くのは、最新の技術もさることながら、この、新しい表現に挑み、手に入れた者は、無名でも、家柄も関係なく、必ず世に出られるということを確認するためである。 |
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