◆◆◆ 2256 ★ 片岡球子展  スケッチは語る  ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

片岡球子  スケッチは語る

2015年7月6日

生涯を賭けた傑作。面構えという、歴史上の有名人を日本画の巨大肖像画にしたシリーズ。


スケッチ。

最新の調査から、スケッチに残された知られざる画業を紹介。

スケッチは三百五十冊以上。

膨大なスケッチから、本画制作までの秘密や試行錯誤を読み解いてゆく。


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足利尊氏をはじめ、足利善政、義満。

を描いた作品が、彼女の画業を不動のものにした。


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*1966年。うっひょー。

*肖像画を元に、新たなる肖像画を描くということになれば、

模写の被写体が、制止しているから、当然に、焼きなおした絵も

止まっている。

まあ、ここは、もう少し動かしてもいいかなとおもうが、木彫の

彫刻をスケッチし、日本画の本画にするという手法は、絵のモチーフとしては

画期的だったと思う。


何が画期的かといえば、著作権はフリーだし、有名武将となれば、

地元の金持ちが皆欲しがる。

次々と描き進んでも、描けば描くほど売れるという構図。

有名武将はいくらでもいる。

その後は、北斎や、広重、豊國といった、有名画家の名画と肖像のコラボ。


この、武将や画家の肖像画の焼き直しというビジネスモデルに、

アタシは、彼女の別な才を見た。

絵が、もし業なのだとすれば、売れなければならない。

もし、売れなくても良いのだとすれば、それは業ではない。


織田信長様の肖像、アタシだって欲しい。

画家の肖像となり、絵の華やかさはさらに増していく。

歌舞伎の絵にすすむと、軽やかな動きや役者の表情も素晴らしい。



そういう意味で、人物に入ったというのは、ヨカッタと思う。

人物の方が風景よりも難しいというのは、ちょっと絵を始めれば

誰でもが気付く話だからである。

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スケッチ。試行錯誤のプロセスをつぶさに残していた。

いきなり、紫で描画。

黄色かな。

やっぱ、黄色で当たるんだ。(アタシも、最初の線は黄色でアタリ、

その後、彩色、最後に輪郭線という方法で絵を描くことが多い)


それが、最も早い。

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琵琶の絵。

*気持ち的には、琵琶の葉は、もう少し大小の大きさが違ったり、枯れた葉が混じったりもする。


教員になり、教員と絵の両方を頑張る。

今までとは違う画風を目指すも、院展での落選が続く。両立は容易ではなかった。


なかなか認められない、辛い心境。その中で

教え子たちのスケッチを続ける。

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*すごいな。

モディリアーニとか、平山郁夫センセイの素描を見たときのような驚き。(線の描きなおしがない)


う゜ーん。巧いのか下手なのか分からない。

ただ、線の迷いというのはない。(人物を大量に描いているということである)

ただ、見ても、いいとも思わない。(~_~;)

ビミョー過ぎる。まあ、買う人を全く意識しない、自分の世界というところは、

やはりスゴイ。認められようとすれば、見る人にどうしても媚びた絵になってしまう。

媚びた絵というのは、ついてない。

媚び過ぎると、絵というものは、もっとつまらない。

見るものというのは、我がままである。


絵を描く心というのは、迷うね。

球子先生が、卒業のときに生徒のスケッチを描き渡す。

スゴイ。

全員にあげたのかな。

先生だからね。

みんな、彼女の絵を取ってある。

生徒さん一人ひとりにメッセージを添えている。

*そういう一面は知らなかった。

人間の良さとか強さというのは、必ず絵の信念として出てくるものである。


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「生徒に勉強を一所懸命授業をすることが、良い絵を描くこと。」


四十九歳のときの、ニワトリ小屋の傑作。子どもたちを生き生きと描く。


写真家 大石芳野さん

「球子先生は、生徒たちのことを、子どもとしてではなく、個々の人間として

接していた。

昼間は授業、夜は制作。徹夜に徹夜を重ねるような生活。

描きに行く時間がないから、身近な生徒たちを描こうとしていたのではないのか

と、最初は(大石さんは)思っていたが、スケッチを大量に見るうちに、

膨大な子どもたちのスケッチが、面構えの原点となっているし、生徒たちから、

さまざまなことを教えてもらっていたのではないか。。」

歌舞伎南蛮寺門前所見 1954

舞子、舞子に恋する男、キリスト教に改宗する僧侶という設定。

信心深いキリシタン。

安土桃山時代 南蛮寺の門前で繰り広げられる歌舞伎の物語。


実際の歌舞伎の情景とは違う作品に昇華させている。

球子は、この絵のために十冊以上のスケッチを重ねる。

歌舞伎俳優のスケッチ。毎日楽屋に通い詰める。

「見えないところまでシッカリ描け」と叱咤激励。

九代目海老蔵を、もっと際立たせたいという思い。

一冊、ほぼ全て、着物の模様だけ。

スケッチした着物は、どのようなものたったのか。

松坂屋コレクション。京都まで行き、着物を探していた。


安土桃山時代のころの布を模写。

ディテールのひとつひとつまで国名にスケッチ。

舞子の小物は、能装束。

登場人物たちを、安土桃山時代の衣装で描いていた。


物語にしか存在しない登場人物。その個性をどうすれば輝かせることができるのか。

登場人物が生きた時代に、もっともふさわしい衣装を着せて描いた。


取材を重ねて、本画に挑むというスタイルが固まってくる。

ディティールの取材を重ねていた。


四百年前の屏風の一部を描いたスケッチ。

絵の背景にも着目。

ふんだんに使われた金。自らの作品の背景にも金を用いる。

華やかな時代の息吹を感じさせる。


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写真家 大石芳野さん



「一生懸命調べないと、空想を描くことになってしまう。

リアリズムを追求し、研究に研究を重ねた作品を残した。」


*空想が絵に交じってはいけないという美意識。

絵というのは、自由なものだということを教えくれる人はいなかったということになる。

もしくは、自由すぎる現代美術の作風、流行りに対する抵抗なのか。



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*ポートレートを見た感想。

おおっ。皿がデカイ。

そうだよね。あんな小さい皿で絵具溶いても、デカイ絵には足らないとアタシも最初から

思って、白いボール状の小鉢も買っている。



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旅のスケッチ。西洋絵画。自分の目で見て、何に感動したのかというのが、

旅で残したスケッチで知ることができる。


ジョアン・ミロの作品。

そうだろう。アタシだって鳥肌だった。

彼の絵に感動するのは、ごく当たり前である。


先日ウチのギャラリーにいらした、自称画家の方。

ミロの絵が「残念な絵だ」

とアタシに言い放った。はぁ。



私が、「もう少し、売れている絵を見て歩かれたらどうでしょう。絵の価値は、

画家が決めるものではありませんから。」と話すと、キレてしまい、

その後ご縁が無くなってしまった。

一枚も絵を売ったことのない画家の話など、聞いている時間がムダである。

私にとっても、ヨカッタと思う。


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球子先生の手記

「絵は自らきずき上げるものである。

道はいばらにとざさるるとも

わけて進む一すじの道は

必ず作家の前にあらわれるものなることを

この展らん会を見て感じた。」

1962.11.2


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