◆◆◆ 2247 ★ 来客 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015年6月26日

本日、来客あり、机の上のゴミのような絵とか紙とかを全て移動。

机の上を拭いたのは久しぶりである。

その方との会話「おじゃらさんなら、働けば、月額五十万ぐらいはサラリーもらえるんじゃないの?」

オジャラ 「働けばね。若いころは結構稼いでたよ。」

その方「いろんなバイトしてるけどさ、安い賃金で働くことないんじゃないの?」

オジャラ 「今のバイトは、AMで終わるからね。一時には毎日、ギャラリーに来て絵を描けるから、ま、その方がね。自分のためにはいいかなと。デビューするまでに、あと三千枚は描きたいんだよね。」

その方「デビューって?」

おじゃら 「画廊さんは、自分のお客さんをそれぞれ持ってるでしょ。その、お客さんに合った筋じゃないと、作家は扱ってもらえないでしょ。そういう、お客さんの買いたい絵にならないとね。」


その方「あ、画廊に、いろいろなジャンルがあるの分かりますよ。」

オジャラ「ね、幻想絵画とか、日本画だとか、油彩画だとかね、お店によって、専門分野が違うんだよね。アタシは、作品の幅が広いし、造形も前衛も作るでしょ。画廊選びが難しいんだよね。前衛系にも飽きてきたし。」

その方「なるほど。前衛って売れなさそうだね。」

オジャラ「あは。そりゃ、当たれば一番儲かるよ。伸び率は、今一番じゃないのかな?」

その方「へー。そうなんだ。」

オジャラ「まだ、美術品としての評価が定まっていないからね。値下がりするものもあるだろうし、作家さんが途中で作れなくなるとかね。問題も多いんだけどね。」

その方「そんで、どうして溶接が関係あるの?」

(私が溶接の学校に行った話をしたため)

アタシは、ピカソの金属を溶接した作品の写真をその方に見せる。

オジャラ「こーゆーの作るのよ。」

その方は、絶句してましたが、溶接を習った意味は分かったようでした。

おじゃら「テラコッタなんかでも作品イッパイ作ったんだけどさ、この前の地震でだいぶ壊れちゃってね。そりゃ、考えたり嘆いたりしても、別段くっ付くわけじゃないからさ、でもまあ、心に傷はあるし、反面、壊れないものを作らないといけないのよね。芸術家はね。」

その方「ははー。それじゃ、バイトは、それまでのつなぎってワケか。」

オジャラ「絵で食えない人なんて、フツーなんだよね。だからさ、例えば一生売れなかったとしたって、別段普通なわけでしょ。誰にも迷惑かけないよ。」

その方「そんなら、別な方法で収益を得りゃいいじゃない。」

オジャラ「競馬や株とおんなじよ。一発当てて儲ける。アタシは生きてる間に当てるよ。」

その方「ははー。なるほど。それまでのツナギで少額の収入のためにバイトしてるんだ」

個人的な意見としては、不要なお金を持ち過ぎると絵を描かなくなるし、お金を稼ごうとすれば絵を描く時間がなくなるため、必要最低限のお金を得て、あとは、絵を作る時間に充てるという生活に戻ったということになる。

オジャラ「絵とか、作品の創作っていうのはね、たった一人で、何億も稼ぐことができるかもしれない、唯一の職業なんだよ。ほかの職業はさ、稼げたとしても、一人では無理でしょ。規模を大きくすれば、人も沢山雇わないとならない。

でもね、絵はね、たった一人でも可能性がある。アタシは、その人生の勝負に出たってことよ。」

この話をしているときに、別な人が入ってきて、この話の決着をつけずにその方は帰ってしまう。

自分の人生を賭けて一発当てようという夢は、夢としては王道だと思う。

夢というのは、大きければ大きいほど、やりがいがある。

まだ諦める段階でも無い。

八十五歳ぐらいまでの絵は、ある程度見れる場合が多いからである。

わたしのように、恵まれた環境で絵を描いている人は多くない。

そのことに感謝して、また一枚を描こうと思います。

というか、また大量に描いちゃったよ。。。。。。はぁ。

夜十一時まで描いてしまい、何枚あるか数えたくない。

。。。。。おやすみなさい。

おじゃら画廊

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