◆◆◆ 2233 ★ 渡辺豊重 画業60年/ピーター・ドラッガー コレクション展 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015年6月8日

渡辺豊重 画業60年

2015年6月8日 10:04

23才 川崎の自動車工場で働きながら絵を描く。

職場を点々としながら絵を書き続ける。社会を見つめる絵。

48才でパリに

パリ時代 デッサンに打ち込む。

「小さな赤い目人の眼。 細い職種のようなものは腕。単純化されたフォルムによって自らの表現を深めてゆく」

歓喜 68歳の時の作品

*出てくるエネルギーが凄い。

*先生、床に座って絵を描いている。複数の絵どうじに描く。

都会と農村のギャップというのが、高度成長期を堺に激しくなってくる。

これはなんだろう。怒りたくても怒れない。

腹を立てても立てられない。そういう思いをこの絵にこめてみた。

厳しい現実に屈することなく踊り続ける人人。

渡辺先生「人間にとって、一番大事なのは人間。どうやってこの時代に生きてきたのか。

そういうものを記録するのが画家の仕事だろう。生きている人間を、どう、今の言葉、(自分の絵で)表現できるのか。というのが、僕の課題」

ピーター・ドラッガー コレクション展 千葉市美術館

2015年6月8日 11:13

室町時代の水墨画・禅画を多く集める。次に収集したのが文人による南画。

白隠

「だるまの絵は、描くのに十分と八十年」

この、八十年の意味するところは、人間の精神的な自己体得を 意味している。

西洋人の言う、技術的、作画の経験値的な蓄積の話とは違う。

とドラッガーは書いている。

禅宗の祖、だるま図の精神性は自己を精神的な存在に高めた人である。

だるま図の精神性は、技術などでごまかすことができるものではない。

例え画家の体が弱っていたとしても、精神力があれば、それは達磨なのだ。

■千葉市美術館長 河合正朝さん

達磨を描く気迫というのが、禅の悟りの表現なんだろうと思います。達磨により、大衆が救われる。

ドラッガーは、この精神性に気づき、禅画をコレクションし続けた。


1969年 断絶の時代を執筆。

この頃も、日本美術の収集に没頭。

作品の選定は、奥さんと一緒に購入。

ドラッガー「私たち夫婦がいつも考えているのは、私たちの生活の一部になり、生活の一部になっても、精神的に豊かにしてくれるものかどうか」

否であれば、作品としてどんなに優れていたものであっても、我々のものではないのである。」

■与謝蕪村。広大な風景画のなかに小さい人物が配置されている。

日本の南画、それを描く文人たちの出現。それはまさに、画家を通して語られた、ひとつの国家と、その精神の復活についての

ユニークな物語であった。


■ドラッガーが好んで絵を入手した 村上玉堂。

琴をつまびき、気の向くままに絵を描いた。

若い頃、藩士だった親友の死を堺に、仕事にやる気をなくし、詩や書画に没頭。

これまでの技法にとらわれることなく、思ったように筆を振るう。

しばしば酒を飲みながら絵を書く事もあった。

■渡辺崋山

江戸時代末期 愛知県の家老だった崋山、異国船打ち払い令に異を唱え牢屋に入れられる。

出獄後、田原で蟄居させられ。密かに絵を売りながらひっそりと暮らす。藩主に迷惑がかかるからと自決。

「文人画家には、武士出身が多くいた。 牢獄に入れられ、自殺した崋山に至るまで、文人になった侍たちは、体制と問題を起こし、脱藩したりするものが多かった。文人の間では、士農工商などの階級の区別はなかった。学問と芸術にもとづく日本における最初の近代モデル。


日本における最初の「近代社会」

ペリーの黒船が下田に現れた頃には、

文人とその南画が、生まれや財産ではなく、教育によって地位や尊敬が得られる社会。武士ではなく、

市民の階級制から自由になった社会を築いていた。

文人は自己の絵画様式を発展させることにより、徳川政権崩壊後の、日本が築かれる基礎を敷いたのである。

*ドラッガー先生、さすがに文が巧い上に知的。キャー。O(≧∇≦)O

■五年間、日本美術の講師  自分のコレクションを広げて、みんなで眺めるだけだったらしい。

マーケティングの講義なら、受けたいけどな。(*゚▽゚*)

■長年、私がどんなに深く、日本美術の個人主義に感銘させられてきたか。

日本人における一様性 すなわち、日本人は、個人として存在するより、家や会社の形で

組織化されているという事実を耳にするが、一方、日本の画家たちは、極端なほど個人主義者なのである。

■西洋をはるかに先取りした画家たちの感性。

谷文晁 西洋の印象派の絵のよう。光を捉えている。

淡い光を受けて白い花が無数にほころんでいる。

■娘道成寺 芦雪

「芦雪は鐘を描いたが、それは西洋より百五十年も先立つ抽象画であった。

文晁が描いた梅は、半世紀後にターナーやモネが試みたように光を絵の主題としていた。

白隠の達磨は、ピカソ、あるいはまちスなどに現れる表現主義。あらゆる可能性を要す。

仙?は、150年も前に、ピカソの後半の活動を行っていた。

過去一世紀の西洋が展開してきた、近代的視覚や感性は、日本にとっては、ふるくからのものであった。」

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*くーっ。遠いんだよなー。@千葉市美術館。日本画見るのに金払いたくないし。

ドラッガー。学生時代によく読んだ(覚えてません)(*゚▽゚*) これでも私、マーケティング専攻。

マーケティングといえば、ドラッガー。

馬鹿の一つ覚え的な学生時代の記憶。

画業とはマーケティング。私が。何故美術番組を見ているのかといえば、それは、成功事例の収集である。

画家の成功、絵が美術館に展示され、世界を巡回するというのはどういうことか。

という例を具体的に集めている。

同時に、審美眼を磨く。

誰が、何をもって、この絵(私にとっては、良く思えない、へぇ、これが、、、)が、何故良いとされているのか。

その謎を知らなければならない。

絵というのは謎である。

芸術というものは、謎ではない。見る者を楽しませる何かが潜んでいる。

それが「芸」なのである。

この絵の「芸」は何なのか。

美術なのか、工芸なのか、肖像画か、民族画か、それとも、神話なのか。

信仰の対象か、布教のツールなのか。

残されている多くの絵には、描かれた理由があり、残されたきた(持つ人によって大切にされてきて)意味もある。

絵というのは、作品が優れているというだけでは残らない。

どうやって、作品が残されてきたのかを客観的に知り、整理し、自分の絵はどうならなければならないのかを考えている。

美術番組を見るという時間は、私にとって、そういう時間なのである。

こんなメモ書きのような文でも、愛読している人もいるので、公開することにしている。

正確には日記に転記して、自分が思い出したい時に検索して探せるようにしているというだけのことで、

それ以上のものはない。

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