◆◆◆ 2231 ★ ある少年の肖像 ◆◆◆

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2015年6月8日


ある少年の肖像

ピントゥリッキオ 1480-1485年ごろ ドレスデン絵画館蔵 イタリアで描かれる

■斜めに構えるポーズ。顔の凹凸が極まる構図。モナリザと同じ。

ルネサンスを代表する一枚。

■枢機卿、アレキサンデル六世の加護をうける。

■ピッコローミニ図書館の壁画。下絵はラファエロが描いたと言われている。ピントゥリッキオは

早くからラファエロの才能にきづき、彼を積極的に起用。

画家としては、光が当たらず貧困のうちに他界したと伝えられている。

■ペルジーノやラファエロの作品と酷似しているため、作者が間違えられていた。

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リベーラ作、「えび足の少年」

1642年 ルーブル美術館蔵

障害者の少年をモチーフとしている。手には、「神の愛のためにお恵を」と書かれた政府公認の

物乞いの許可書を持つ。

方には杖を担ぎ、広々とした背景に、堂々とした少年の絵は、

カラバッチョ譲りの徹底したリアリズム、モロ−ミア派の明るい背景の処理。見事に融合した見事な肖像画。

17世紀、ナポリは貿易や金融業で栄える。浮浪児も増える。

リベーラは、ローマで学んだカラバッヂォの影響で、十年以上前から貧しい少年の絵を

描く。特に、障害のある人の姿をよく描いた。

その魅力の一つは、リベーラならではの徹底した写実。足の他、手にも障害がある。幼少期の半身不随に

起因する障害。後の医者が見て、どのような症状かもわかる描写力。

当時、障害者は、天に近い人だと考えられている。

リベーラは、繰り返し障害者の絵を描いた。富める人たちに慈悲の心を抱かせるとともに、、神に祝福された人人の姿をキャンバスにとどめたかった。

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ムリーリョ 1645−1650 「物乞いの少年」

ルーブル美術館蔵

宗教画で名を残す。最初期の作品。

荒れ果てた廃屋で無心にノミを取る十歳前後の少年。

ボロ服を着ているので、両親を失った貧しい少年と思われる。

食べ残しのエビの残骸、食べかけのリンゴと、いくつかのリンゴの入った籠。

水を入れる壺。彼の全財産。

■ムリーリョは、セビリアで活躍。

評判の高い宗教画の作品とともに、貧しい少年の絵を多く描いた。

スペインでは、ムリーリョが描くまで、貧しい人人の絵を書いた人はいなかった。

その後、ゴヤがでてくるまで、誰もそのモチーフに気づかなかった。

ムリーリョも、九歳の時に両親をペストを失う。

その後、絵の弟子になるまでの間の生活は定かではない。

過酷な運命にもかかわらず、たくましく生きる人間の姿を活き活きと描き残す。

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名画って深いわぁ。(*゚▽゚*)

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