◆◆◆ 2222 ★ 新納忠之介(にいろ) 仏像の修復 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

2015年5月24日 10:50

国宝の修復と、修復の記録。修理したあとは、全て図にして残す。

また、修理前・修理後の写真を撮影。

岡倉天心が、新納に国宝の修理(東大寺法華堂)を命じる



新納「そんなむつかしい仕事は、私のような無経験のものにはできません」

天心「むつかしいことをやるのは研究者の仕事じゃないか。」

いつになく激烈な口調でいっ喝。

三月堂のような大物を引き受けて二度と奈良に足踏みができなくなる。

新納「先生は私を殺すつもりですか。」



天心、「殺すつもりだ。芸術の上では、殺すつもりだ」



新納「先生がそこまで言われるのでしたら、私も一つ、死を賭して死にましょう。」



天心「おー、行って死ね。」



*天心先生のお言葉は、いつも深いです。「行って死ね」ですからね。(*゚▽゚*)

もう一つ、このようなやりとりの記録が残されており、しかも、私のような、ゴミみたいな精神で絵を描いてきた者にも、絵の正しい精神を学ぶことができるということに感謝したいです。

思想がね、大きすぎるような気がしますけどね、志というものは、小さくてもいいことはありません。

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ビニールごとスキャンしました的オーラ満載だな。

乾漆の塑像。

「脱活乾漆(だっかつかんしつ)造」

■骨組みを木で作る。

■土を盛り付け、造形を作る。

■麻布(四角くカットを大量枚)に漆を塗り、土の上に貼り付ける。幾重にも重ねる。

■胴体の一部をくり抜き、中の土をはずし、芯を残し、空洞にする。

■くりぬいた部分にまた麻布を貼りつける。

■木そ漆 木の粉などを漆で練った品を塗り、目鼻立ちの造形を作る。

■最後に金箔を貼る。

張子の虎のような品。当時は、乾漆塑像を修理した経験を持つ者がいなかったため、

その方法を研究することも大変であった。

*なるほどねー。乾漆塑像か。この前漆買ったからね。今度やってみよう。

漆代って高いのかな。陶芸教室に行くより安い気がするわん。(>_

土はなんだったんだろうね。まさか、鉢植え用とか、ハーブ用とかじゃないよね。

陶芸用の土でいけるかな。焼かなくて済むんなら、一杯作れるよな。焼いたときとか、乾燥中に壊れないし。

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これまで信仰の対象だった仏像を、修繕し、可能な限りもとの状態に戻し、文化財として継承しようという活動。

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新納「仏像は、元来仏様であって、品物ではない。しかし、美術の上から見れば、創作品には相違いない。

仏様として拝み、美術品として味わう。 七分・三分の兼ね合いが必要であろう。」

新納 の修理の方針

現状維持修理

■あくまで作られた当初の姿を最大限尊重。例え欠損部分があっても、補わない。

しかし、寺院などからの要望があれば、新たに補うこともあった。

■東大寺の希望で仮頭部を作る。

あえて、接合した継ぎ目が明らかになるようにし、新たに補う場合は、どこまでが修理なのかを(後進に)判るようにする。

■かけた部分を補足した場合、修理部分か、本体かがわからないようにしてしまうと、後進の修理者の判断がまよってしまう。

そういうことがないようにする。

■百済観音 一木作り 楠。

修理した部分は、赤で記し、追加した部分は青で記録。

後に新納は、模造を作る。大英博物館からの依頼。

古い時代の品は、模倣作品の完品を作り、本体に万一の災難が起きたときにも復刻できる体制を作るべきだという考えを持っていた。

*はぁ。素晴らしい。美術館に展示されているというのがね、複雑な気持ちになるわね。

できれば、祠なんかも作ってその中に安置して欲しいというのは、私の贅沢なのか。

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真数千手

苦しみを救ってくれる観音菩薩。

あの手、この手で、どんなことをしても、救ってくださる。

唐招提寺の千手観音は、まさに、千本の手がある。部分的な写真を撮り、もとに戻してゆくという作業(は大変だった)

大きな手が持つじもつのほとんどが欠損されており、それは付け足される。

小さな手には、番号をつけ一旦全部はずし、元に戻すという作業。元あった位置に戻さないと、他の腕が収まらない。

それにしても、修理記録のイラスト、墨と筆で描いてると思うけど、物凄い巧い。

下絵はあるんた゛ろうとは思うけど。

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閻魔大王像 旧国宝/重文 十王像(閻魔さまと九人の王)

■明珍恒雄(みょうちんつねお ) 新納の右腕。

寄木作り。

バラバラになった部材ごとに修理され、つなぎ合わせる。

修理直後の写真でも、継ぎ目を確認することができる。

■新納「堂宇の倒壊によって、立派な国宝がこっぱ微塵となった。  刻苦励精。明珍君は魔法師」

三十三間堂 1001体の仏像を一枚一枚写真に撮り、損傷の具合を全てしらべてゆく。

なんというバカバカしい調査だ。

この調査は、馬鹿にならないとできない。馬鹿になってみよう。

長い生涯のうち、あんな仕事をしたことはない。全く夢のような時間だった。

前回の修理(江戸時代)から、二百八十年経過していたため、持物は、暦年のあいだに、

床に落ち、それが、床下に保管されているという状態。

戦時中は、一年に二十体、十五体など、修理できる数も減って、金などの利用制限により、

大幅に遅れる。若い修理者は戦争に駆り出される。

二十年かけて、千体の仏像の修復が完了する。

仏教的な部分もあるのだろうが、修理も無限大に続いてゆく。その元となる資料を残した功績は素晴らしい。

仏像修理に捧げた人生。

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