◆◆◆ 2219 ★ 石田徹也 さん。享年三十一歳 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印


2015年5月23日 9:36

石田徹也 さん。享年三十一歳

便所マン

トイレと一体化した人間。

アイディアノート。

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ユーモアは、いつも意識していた。赤塚不二雄さんを尊敬。

*彼は天才バカボンの人かしらね。テレビで誰かが「あの人は、面白ければなんでもいい人だった」

とはなされていたのが印象的でした。パクリであろうが、品がなかろうが、なんでもいいので、笑いを取りに

行ったということのようでした。(*゚▽゚*) 素晴らしい。

悲しみを知り尽くした人は、もう、ユーモアに行くしかない。 そういうユーモアは、あったかいんだ。赤塚不二雄

石田さん。「ユーモアについては、悩んでいる自分をひけらかすのではなく、笑い飛ばすんだ。

笑い飛ばすユーモアがあって、はじめてナンセンスの世界にたどり着く」

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飛べなくなった人。← 始めは飛べた。今は飛べない。という時間の経過を示すタイトル。

零戦の遊具に、ムラカミサンの絵のようなイラストがついているのが笑える。

二十三歳の頃から、この世界が確立していた。

*自分を被写体にして、社会問題を風刺するような作品。

六畳一間で結構大きい絵を描いていた。がんばったんだねー。

アタシと、竜さん(長らく美術館を一緒に見ている知人)の会話

オジャラ「31才で電車事故ってさ、、、、、それって」

龍「たぶんね、そうだったんだろうね。

オジャラ「賞とっても、あれだけ絵が描けても、絵では食べられないなかったんだね。まだ若いからね。」

あと十年頑張れればね。光が当たったんだろうと思いたい。

絵の世界は厳しい。

イラストの仕事もしてたんだね。ナンバー? 四回に一度ぐらいの頻度で、最後のページに使われている。

原稿料かぁ。いくらかなあ。あれぐらいの絵なら、五万ぐらいはもらえるかな。もらえないかな。無名だもんね。

イラストの仕事は、絵の仕事と比較してどうかなと思う。

絵よりは、稼げる場合もある。それは、絵のクオリティーと、お客様の要望に応じた絵がかけるかどうかという問題も含むからね。

死や苦しみがユーモアよりも大きく絵に現れてくるようになる。

親からの仕送りも断ち、深夜のアルバイトをしながら絵を描く決意。

まあ、それ(援助を受け続けていて)では絵が良くならないという勘違いだろう。

画家の殆どは、家族の支えと共存しながら、絵が円熟したころに、やっと金が入り始めるという職業である。

それは、恥ずかしいことではない。

それは、あいだみつをであっても、宗像志功先生であっても、そうなのである。

苦労を共にし、乗り越え、歯を食いしばりながらも、絶望せず、自分の才能を信じて絵を続ける才がないと、残る絵にはならない。

家族の支えがあろうとなかろうと、絵がよくならなければ、絵に光は当たらない。

「良い絵とは何か」を間違えてはいけない。

二十代の頃の石田さんの絵は、自虐ネタながらも社会風刺やユーモアの利いた作品が主流である。

後半は、死に向かい、精神の不安に溢れる画風に進んでゆく。見る者を辛い気持ちにさせる絵である。

そんな絵は、誰も見たくない。

アナタの心の辛さなど、共有したくない。

ボッティチェリや、ルーベンスの絵を見なかったんだろうか。

誰が見たって嬉しさしか感じない。

内面表現を突き詰めたって、嬉しさのにじみ出る絵というのはある。

赤塚先生の、「悲しみを突き抜けた先のユーモア」を

赤塚先生から学べなかったんだろうか。

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「意味ではなく、イメージで描く」この頃、石田はそのようにノートに描いている。


voca賞(四十歳未満の才能ある画家のための展覧会)、奨励賞を取った。

画家としては順風満帆だった。大賞じゃなかったことに不満があった。

今更、アタシが考えても仕方がない。日本の絵の制度が悪いから、才能ある画家が早死したことだけは間違いがない。

皮肉にも、彼の絵は、今は、こんなに有名になり、話題になっている。

石田さんは、このことを想定していたんだろうか。

*それにしても、三十代直前の絵は、巧いねー。

イロイロなモチーフを組み合わせ、車のボディーに透過させるようなテクニック。

謎の多い構図やモチーフ。

嬉しさや楽しさの微塵もない絵である。

ひんやりとした孤独感かぁ。2003年重たい肝臓病で入院。

死ぬ直前の絵 カーテンとか、硬い壁と違って向こうに行けるのに、あえて何も考えていない。孤独と虚無感と絶望と。

すごくこわい。お客さんの中には、見ていられないという人もいる。

将来は海外で活躍できるよう、ポケットにいつも100ドル札を入れていた。

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死後、百五十点もの作品が出てきた。

あ、思い出した、あの人、絵は売らなかったんだよな。確か。

自分の提示する金額との折り合いがつかなかったんだろう。心の折り合いだよ。

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消化不良的な感想で申し訳なく思います。

心のケアとか、受けたりしたのかな?

考えるのはやめることにします。

絵が残っただけで、彼は、画家として幸せだからです。

これ以上の幸せはありません。

だからいいのです。

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本日のまとめ。辛い絵など、誰も見たくない。

絵は買いたいという人がいたら(自分が想像している金額よりも)安くても売るべし。

この二点。有意義でした。勉強になりました。


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桃尻 ビロード 「本日のまとめ。辛い絵など、誰も見たくない。

絵は買いたいという人がいたら(自分が想像している金額よりも)安くても売るべし。

この二点。有意義でした。勉強になりました。」

おじゃら 倫子 「ももちゃん、画家は、絵は売らないとね。(*゚▽゚*) 最近売ってないけど。まあ、売っていたことはあった。石田さんは、たぶん、ほとんど売らなかったんだと思う。だから、世に出られなかったんだよ。アタシに会っていれば、「画家なのであれば、絵は売らなきゃダメ」って言ってあげたのにね。(*゚▽゚*) 大きなお世話でしたん。ヽ(;▽;)ノ」

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