◆◆◆ 2170 ★ 燕子花図屏風−1 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

テレビの解説などは●印がついています。

2015年4月17日

メモ 琳派 燕子花図屏風 国宝

千住博先生 全身鳥肌ですよ。触りますか?

「絵って何かっていうと色なんですよ。」 美術作品というのは、特に絵画作品というのは、まず、色の印象から始まる。そのときの、青と緑と金。結果的に、たまたま装飾的にも見えるかもしれないけど、光琳のやりたかったことは、装飾ではないですね。強烈な対比。群青とか、緑青(緑)とか、とても強い色ですから。その二つが並んで対等に戦える色は、金しかないですね。最も崇高な表すことができる色は金。ある崇高さであるとか、神秘であるとか、何か、そういうものを描きたかったんじゃないですか。

それともう一つ、いいなと思うのは、今、ここに咲く花に価値があるんだという、徹底的に「生きている今」に美を見出そうとする。今ここに咲いている燕子花。楽園ではない、桃源郷ではない。今、自分の足元の、ここにこそ、神が宿っている。

(千住先生の新作)クリフ 崖  クシャクシャにした和紙に、絵具を垂らし作る崖の絵。

「光琳が今生きていたら、間違えなく蛍光塗料を使っていますよ。」

描くのは滝。黒と白だけ。この白が、暗闇の中で光る滝となって立ち現れる。

「蛍光塗料を見たときに、本当に美しいと思った」

人間が内側に持っている神秘的なものとか、崇高なモノに対する憧れ。

今まで踏み込めなかった心に入り込めると僕は確信した。

* 千住先生は、いつもテレビの前で自分の創作のパフォーマンスを流す。あれはインパクトあるし、スゴイなと思う。自信がないと、なかなかね。要するに、自分の作品を世に知らしめる番宣も兼ねて出てきているということである。流石ねー。

■光琳 家は京都有数の呉服商。  幼い頃から鮮やかな着物に囲まれ、絵や書、茶の湯に励む。特に熱中したのが能。  余計なものを削ぎ落としたその美は、光琳の絵に影響を与えた。

三十歳で父が亡くなり、莫大な財産を相続するも放蕩。四十歳で絵を描いて生きる決意。まず、工芸品を作る。

光琳は、人物を描かず、燕子花と橋だけで箱を作る。

燕子花図屏風は、伊勢物語の同じシーンを描くは、橋さえ省略。 藍、緑青、金の三色。現代美術にも通じる。

■千住先生  滝を描くことで、どこまで光琳に迫れるのか。

千住は、『滝が現れる瞬間を捉える』と言っている。

* 一昨日アタリにもでてきた「瞬間表現」という言葉。芸術の世界では当たり前。

ラファエロさまの肖像画。

よく見ると泣いている。長らく気付かなかった。

■千住先生 「こういう形 を作りたいと思う形はいくつかある。でも、絶対にそれは現れてくれない。二度とね。いい形がでできたものを汲み取って、反応してゆく。」

■千住先生 「見れば見るほど燕子花図屏風に似ていると思うんですよ。防水のね、こういう部分が、どんどん、ドンドン増幅してゆく。 繰り返してきているじゃないですか。蛍光色の輝きと黒との強烈な対比。 これと、金と藍とグリーン、この対比。 大変(光琳に)僭越ですが、燕子花図と、物凄くにたものを感じる。 これは滝ですけれども、僕にとっては生き物なんです。 お前が描けよと、光琳が僕に言ってきているようでもあるし。でも、描けば書くほど、距離があいてゆくというか。 そんなことで、俺に近づけると思っているのかよという、光琳の高笑いが聞こえるようでもある。」

おじゃら画廊

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.