◆◆◆ 2162 ★ メモ藤田の技法 抜粋 ◆◆◆

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2015.4.10

こちらから一部を転載しました。

藤田は絵の特徴であった『乳白色の肌』の秘密については一切語らなかった。近年、絵画が修復された際にその実態が明らかにされた。藤田は、硫酸バリウムを下地に用い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1:3の割合で混ぜた絵具を塗っていた。炭酸カルシウムは油と混ざるとほんのわずかに黄色を帯びる。これが藤田の絵の秘密であった。

さらに、面相筆の中に針を仕込むことにより均一な線を描いていたことも修復により判明した。


乳白色の美生んだ「タルク」(藤田嗣治の絵画技法解明)


平成20年12月6日上野の東京藝術大学で開かれたシンポジウム「藤田嗣治の絵画技法に迫る」は盛況だった。作品を修復した日仏の担当者から報告があり、これまで謎のベールに包まれていた技法の秘密が解き明かされるのではとの期待を集めていた。「乳白色の美」とたたえられる独自の技法を藤田が確立したのは20年代後半裸婦などの作品だ。人物の肌の部分などに見られる磁器の様な肌合いと日本の画想筆を使ったとされる繊細な線の表現は、当時世界各地からパリに集まっていた幾多の画家の中にあっても異彩を放っていた。

藤田婦人から「ライオンのいる構図」など大作五面の寄贈を受けた仏エソンヌ県は2002年から2007年にかけてそれらの作品を修復した。シンポジウム登壇者は同県議会フジタコレクション学芸員のアン・ル・ディベルデル氏は「タルク」という一般には馴染みの無い言葉で出席者の関心を集めた。修復時に絵画の検出したタルクはベビーパウダーなどに用いられる滑石のことである。同氏は「フジタの作品にはグレーズ(透明の絵の具を薄く塗り重ねる技法)の層がある。そこにタルクを混ぜると滑らかでつややか、半透明になる」と説明した。乳白色の美の特徴と符合する情報だ。

裏ずけになるのが、木島隆康東京芸大教授らの報告だった。木島氏は、1929年に開館したパリの研究者用施設「パリ日本館」のために藤田が描いた「欧人日本へ到来の図」と「馬の図」の修復を担当した際に矢張りタルクを検出し、再現制作を試みた。「タルクをポビーオイルで溶いて油性の下地に塗ると、エナメル質の絵肌になったばかりか刷毛目や布目の跡までが消えた」と木島氏は発表した。タルクの粉をのせた画面に墨で線を描くと、油性の下地が水性の墨をはじく現象も見られず、「筆が滑らかに動き、自在な線が描けた。」(木島氏談)タルクが藤田の画風の鍵を握ると言う説の信憑性は一気に高まった。パリでは技法を日、何時にしていた藤田がが、米国では秘密を漏らしていた。シンポジウムの司会を務めた林洋子京都造形芸術大学准教授は著書「藤田嗣治 作品をひらく」で、藤田の手紙の中にタルクに関する記述があることを指摘している。「カンバスが油っぽくて、墨が乗らない場合はタルク(小児の身体にぬる白粉)を綿でつけて直ぐにかけばすみはつく」

手紙は、ニューヨークで藤田の作品を修復していたとおもわれる日系アメリカ人画家のヘンリー杉本に1953年に当てたものだ。「50年代の記述であり、全ての作品に当てはまるとは限らない」(林氏)というものの、藤田が水性の墨を油性の下地に馴染ませる手法として、タルクを使っていたことが分かる。今回のシンポジウムでは藤田が黒の線を描く際にも作品によっては日本の墨と油絵具を使い分けていたり、下地層に油性のものと半油性のものがあったりすることが分かった。「藤田は柔軟な姿勢で自分の欲する表現に適した技法を追求していたのだろう」と林氏ははなす。それゆえ油彩や日本画の技法にとらわれず、当時の画材として一般的でないタルクを利用することになったと考えてもよさそうだ。東京芸大准教授の古田亮氏によると、東京美術学校の学生だった藤田が授業でとった日本画を教えた鶴田機水は議論家で、「西洋画も日本画も変わりじゃしない」(東京芸術大学百年史 東京美術学校編)といったことを「二時間でも三時間でもしゃべった」という。技法に柔軟な藤田の原点たる経験の一つを思わせ興味深い。(日経新聞 小川敦生)

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長い時代の間に、記事がなくなることがあるので、リンクも貼らせていただきましたが、一部を転記させていただいています。

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