◆◆◆ 2158 ★ 血圧との戦い ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

テレビの解説などは●印がついています。

2015.3.28

血圧を下げるために、タマネギの皮を煎じて飲んでいるのですが、先日、すき焼きを作ったショウユと砂糖入りの残り汁を足して、コンソメスープにしようと思ったら、真っ黒に液が変色して驚きました。脂肪分かなにかと化学反応をおこしたのかもしれません。体内でも、何か起きるんだろうとは思いました。人間にはいいのかもしれませんね。

2015.3.31

そういえば、昨日花見に行ったんだった。忘れ。

14年前のキャンテイと8年前のキャンティークラシコをボトルに詰め直して、ポテトサラダ、きゅうりの漬物、ふらんす屋さんのパン、ケンタッキーのチキンなどを持参。

場所は、いつものスカイツリー前。

メモ 岡本太郎 昭和八十一年のアトリエ訪問という番組の再放送。

■ 前衛的な抽象表現の団体アプストラクト クレアシオン協会に参加。アルプ、カンディンスキー、モンドリアンなどと集う。

■ 昭和十二年  痛ましき腕 

「スペインの内乱などををきっかけに、ようやく 外部の世界は変動していった。人民戦線の結成があり、新しい現実への若い情熱がどのフランスの青春を捉え始めていた。私の内面にも異様なリズムとして、響き返るのであった。私は青春のリリシズムと、完美な苦悩を「翻るリボンの形で」ひらめかせた。造形的には抽象的感動だが、あくまでもリボンである。 具体的なものなのだ。 絵空事ではない、セッパ詰まった表現。無限に浮遊していたリボンが突然結ばれた、そして、傷ついた時が、現実にかえって、拳を握り締めたのだ。これは、純粋抽象との決別であった。」

流石の文才。しかし、話していることは、絵の説明であり、この絵ができたストーリーである。岡本太郎の作品は、実は、コンセプチャルアートなんだぁ。なるほどぉ。

*前衛的な抽象から離れ、具象に戻ったということは、日本人の観客のことを考えれば理解できる。

*それにしても、ビートたけしさんの声に似てるなぁ。不思議。声だけ、話し方だけ聞いていると、たけちゃんにしか聞こえない。

*最近、大きい絵を描こうという理由から、皆さん、大作をどのように描いているのかが気になっている。岡本太郎は床置き。そういえば、中川一政先生も、外に立てかけて描いてたな。

■エスキースを見ながら描く。

*エスキースのオーラ、半端ない。

メモ 仁阿弥道八展 

*ちゃんと見たことなかったけど、さすがのクオリティー。

色絵 桜楓紋鉢 江戸時代。

*パクリ品、1000円也がウチにもある。(*゚▽゚*) 

縁に△の抜け部分があり、ビミョーに使いづらい (ラーメン丼などには不向き)のが特徴である。 (ヤフオクで) 写真見て買ったときには、穴には気づかなかったんだよね。バケット入れに使ってるけど。(*゚▽゚*)。サラダにもグッド。

縁を黒い鉄釉で塗り、鉢全体を引き締める(口紅と呼ばれる技法)。 あれだよな、ウチにあるのは、色黄色いし。(*゚▽゚*) 口紅引いてあったかな。 ま、いいか。あればこの、ニセ作品を馬頭するというアタシの毒舌芸で場が盛り上がるからである。

そーかぁ。この人の写しだったんだぁ。 みたいな。(もっと古いオリジナルもあるみたいだけど)

物凄い不思議なのが、オリジナル(仁清とか李朝期の器など)と、道八の作品が並んで展示されているという展示方法。

道八の作品は、パクリ茶碗はともかくとして、タヌキとか、七福神、鳥獣などの造形物が素晴らしい。 色使いかな。造形の品格というか。 ブラブラ美術・博物館は、素晴らしい番組だが、番組を見ると、内容が充実しすぎて、展覧会に行く必要がないという気持ちにさせられるのが、唯一の難点だろう。

七福神や、鳥獣の香合が、作っても作っても売れてしまうというのは、作家としては、笑いが止まらないね。

陶芸作品の、高台とか、裏側の写真画像などが、作品と一緒に展示されているというのも、素晴らしいね。見に行くのは、道楽の古道具好きの親父共だろうからね。茶道具オババとか。 本物見ても、偽と本物の見分けはつかないのが常。

私見としては、値段だよね。気に入れば、値段が高すぎなければ買って楽しめばいいと思う。 ウチにある器類は、最近、陶芸教室の生徒さん展でゲットした、千円とか千五百円ぐらいの作品が中心になっている。 使うと育つしね。

十万円じゃないんだからね、楽しめばいいとおもう。 箱に入れて、箱を並べている収集の方々は、茶を飲むワケでもないみたいだし。使うならいいんだけどね、所有欲的なものだよね。 そういう人は、売る人にしてみれば、ほしそうに見えるから騙されるんだよね。

まあいいんだけどね。余ったお金を芸術品につぎ込んでいる人がいないと作家がそだたないから。

偽を高値で売るのは詐欺という。 ところが、仕入れた人も、趣味がこうじてみたいな場合も多いからね。仕入れ価格も高いってこともあるからね。(*゚▽゚*) 

売る方もホンモノだと信じているということになる。

アタシは、こういう類の話を見聞きしたりするときには、商法上の観点からも考える。

「商品の価格設定というのは、売る側と買う側の同意により成立する。商品の価格というのは、自由につけてもよい」 それが、商法である。

なので、価値が1000円の丼だったとしても、買う人が、百万円だと思い込み、その値段で買うことは、犯罪ではない。思い込んだのは買う側である。価値のないしなだと分かって、不当に高い値段で売った方にも問題はあるのだが、自分の勉強不足で、高い品を掴まされる、買い手の落ち度でもあるのである。 であるから、裁判などになれば、買い手の落ち度ということになり、売り手には責任がないという結論になる。

実際の骨董店であれば、(ニセであった場合には)販売価格で買い戻すというのが常識でもある。商売はそんなに簡単ではない。

まあ、そんな話をここでしても仕方がないんだけどね。骨董を買いたいという相談を受けたときには、「本物かニセかを自分で見極められるのか?」

を尋ねることにしている。ある種の勝負事に似ているのである。

もし、分からないのであれば、高いと思うものは買わなければ良い。偽であっても、三白円で、実際に使って楽しみたいという品なら買えばいい。そういうことになる。

おじゃら画廊

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