◆◆◆ 2153 ★ 農民の名画 ◆◆◆

個人的な感想にはコメントの前に*印

テレビの解説などは●印がついています。

2015.3.7

メモ 農民の名画 オスターデ 1650 オランダ

薄暗い室内で談笑する農民たち。 床に脱ぎ捨てられた一足のスケート。この時代は、現代より寒く、川も湖も凍りついたため、スケート靴は移動手段。

葉たばこ。ハーブなど様々なものが混ざっていて、健康にヨイともされていた。1610年生まれ。兄弟子のグラウエルの影響を強く受けるが、1640年後半から、グラウエルと瓜二つだった画風が、独自の世界に。 

ル・ナン兄弟 「農民の家族」 ルーブル美術館蔵 1645年 薄暗い室内にいる八人の農民の家族。柔らかい室内にほぼ水平に配置された家族の肖像の構図は、画面に安定感を与えている。

老婆が手に持つ赤ワイン、信仰の深さを示す、笛を吹く少年は貧しい中でもささやかな楽しみを表現。風俗画なのに、宗教画のような崇高さが漂う名画。

ルナン兄弟、アントワーヌ、ルイ、マチュウ

三人が共同のアトリエで作業。それぞれが苗字しか書かなかかったため、誰がどの作品が不明。王朝の絵やサロンなどでも活躍するが、その後華やかなロココ絵画が流行り、この作風が古く感じられ、忘れられてしまう。19世紀になり、とある収集家が十万フランを寄付したお金の一部で購入された。

ミレーの晩鐘 1857-59夕闇迫る平原に流れる教会の金。作業する手を止めて祈る農民。

妻のあしもとに置かれたじゃがいも。 小麦を主食にできない農民の主食だった。 

この頃祈りを捧げるのは女性の役割だった。

画商アプルトンは、偶像崇拝を禁じているプロテスタントだった彼は

マリアもキリストも描かれていない、新しい宗教画をミレーに依頼した。

祈りを捧げる、ひと組の夫婦の姿を通し素朴で純粋な信仰心を描いた名画。

晩鐘を描いた1850年代、生活苦と病魔のため ミレーは、自殺を思いつく程経済的に追い込まれていた。

1855年、第一回 パリバンコク博覧会に出品された接木の男、なかなか買い手がつかなかった。そんな折、一人のアメリカ人コレクターが、4000フランでこの絵を購入。

実は、友人の画商が、偽名を使いこの絵を買取り、彼の窮地を救う。また、彼のプライドにも配慮した。

ミレーは、晩鐘を1000フランで売却。その後、その絵は転売に転売され30倍の値段になる。

オークションにかかり、アメリカのオークションと、フランス美術担当大臣との戦いとなる。

名画の海外流出を恐れたフランス政府は、55万フランで落札するも、フランス政府が、支払いを拒否。二番目に高い値をつけたアメリカに渡る。

フランスの百貨店経営の男が、アメリカから75万フランで買い戻し、ルーブルに遺贈された。

*フランスの執念。名画が高値な理由。 その絵を競る人たちが存在したこと。再確認。画家本人にはたいしてお金は入らない。

メモ 中目黒 郷 さくら美術館 700点ほど収蔵。本館は福島。 日本を代表する桜の日本画を中心にコレクション。 

*確かに、日本人画家は桜の絵は必ず描くもんね。アタシも描いておこう。みたいな。

■中島千波先生、一筆で桜の花びらを一枚描ける。行って返ってできあがりみたいな。あっという間に桜満開、花さか爺さん。

■  桜花賞 若手作家に美術館が逆指名し、80号の作品を書いてもらい買い上げ。

*美術館が作家にできる最大のイベントだと思う。

メモ 山種美術館

花と鳥の万華鏡 春草、御舟、栖鳳 松篁

渡辺 省亭 パリ万博 銅牌

なんという格調。弟子もいない、大正七年死去。 海外に作品を多く残す。

鈴木其一 リンパの画家

ほぼ正方形で二曲一双。

リンパ以外ではほとんどない。 花鳥画、春夏秋冬が入っているのが当たり前。

上村松園の息子。 淳之さんのパパ。鳥園で産まれたヒナなどを日本中の動物園にあげたりしているらしい。

翠苔緑芝(すいたいりょくし) 御舟

*うっひょー 高そうな絵具の色。(*゚▽゚*) ビックリ。

荒木十畝 (ジッポ) 目黒がじょうえんの天井画

竹内栖鳳 京都画壇の大家

*動物の絵は珠玉

大観 

*すっと描かれた九官鳥、 文人画家のような、気の抜けた筆致が極まり上手い。

メモ ルーベンス 1615 四大陸

宗教画を中心に精力的に活動。バンダイクをはじめとする多くの弟子が働く。ルーベンスは多くの絵を手がけるために分業制で創作を行う。

スケッチ⇒弟子が造り⇒ルーベンスが仕上げる。

なるほど。

宗教画や寓意画がある。

なめらかな肌を表現することは、画家にとってもっとも困難な難題。

この答えがわかっていた画家は、ルノアール、テッツァーノ、ルーベンスの三人だけだと著名な美術史家は語った。

メモ ドラクロア アルジェの女たち

フランスが、友好関係を気づくため使節だんを北アフリカを訪問。 その一員として風俗や風景をドラクロアは書き留めた。

そして親族以外が訪れることが禁じられていたハーレムに入ることを許された。何時間かスケッチし、記録した。

これこそが、私が考えていた通りの女性だ。

彼女たちは、俗世間の中心で、ひっそりと、完美に、感動的に人生を送っている。

気だるく、官能的なハーレムの情景を描いた傑作。

この旅行は、ドラクロアにとって転機となった。強い日差しの中で、色彩にたいして新たな感覚を身につけた。

安易に白や黒を混ぜて色を作るのではなく、多種な鮮やか色を使う。

印象派の画家をはじめ、ピカソに至るまで、彼の絵の色彩は影響を与え続けた。

メモ アンリルソー

蛇使いの女

一人の黒人の少女が、ジャングルの風景の前で笛を吹く。何匹もの蛇が笛の音に集まってくる。その体には一匹の蛇が巻きついている。

全ての葉に焦点があたっているが、実際にはそんなことはありえない。

不思議な空間。

ソバジェという少年が、ルソーのアトリエを訪れる。

預金通帳などを盗まれたので助けて欲しいと頼まれる。

人を疑うことを知らないルソーは、八年も会っていなかったその少年の

言うままに助けたら、詐欺罪で訴えられてしまう。

知人たちの、ルソーを助けて欲しいという嘆願により

二年間の禁固と、二百フランの罰金で刑は終了した。

美術評論家は、

部屋全体に、この絵がハッスル、神秘的な世界が漂っていたと記している。

画家の目は、異国に向けられ、それまでにない、エキゾチックな名画をうみだした。

−−−−−−−−

メモ 国立新美術館

ルーヴル美術館展 日常を描く 風俗画に見るヨーロッパ絵画

風俗画の魅力。

当時の庶民の日常を親しみやすく描く。

ありのままの生活、感傷的なテーマも多く、ブルジュア階級に人気。

世界最高峰の風俗画、八十点来日。

メモ 出光美術館 小杉放庵 

日本人のための日本画 イラストのような動きのある、軽やかな本画が多い。

イラストレーターは必見。

根津美術館 佛さま

東京国立博物館

国宝 檜図 屏風 狩野永徳 十八ヶ月にも 及ぶ修復

−−−−−−−−

c.エレガンス

カエノラブディティス の略

センチュウ 動物のガンを識別。

3/16

本日、サンダルの修理、オットのワイシャツの汚くなった襟の部分を交換。ヘトヘト。人生は短い。

写真は、アトリエの机の上。いまは椅子の上には物が積まれているので、僅かな隙間で描く感じかしらね。というか、描いてないけど。汚さは巨匠並み。(;´д`)

3/17

メモ マックバーネット 鯨の絵本作家

おじゃら画廊

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.