◆◆◆ 2105 ★ 千葉市美術館 赤瀬川源平展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.11.28.

川村滞在は55分。

4時45分のバスに乗り、千葉市美術館へ。

JR佐倉駅でバスを下車し、千葉駅まで総武本線。その後、7番のバス乗り場で乗車し中央三丁目の停留場で下車。

後ろから乗るシステムで、パスモをピっとしなければならない。

ここでもバスは渋滞のため10分以上遅れる。

今日は、交通遅延に巻き込まれる一日だった。

私は、千葉駅の混み具合に少し驚いた。

今の時刻は6時ぐらい。

11月の月末、金曜日の賑わいというのは、都心とそう変わらないものなのだ。

千葉駅には沢山の食べ物屋さんがあって、どこも楽しそう。

10分もバスが遅れるなら、何か食べればヨカッタよ。6333333333333-.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0.0++++++++++++++++*/*/*/*/*/*/*/

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63からはニャンコによる入力。

本日はオットちゃんとヨーカドーに二時間程買い物に行ったので。その間の彼女たちどちらかのコメント。

失敗した習字の半紙を使って

張子の猫を作ろうとしたときの写真。

出来上がらず。

金曜日の夜で、美術館はガラガラモード。

数えても6-8人ぐらいしか見当たらない。

まあいいかぁ。

ゆっくり見れて。

シンとした展示室。赤瀬川さんの作品は、イラストタッチの作品とか、デザイン的な品が多い。

ので、作品に近寄って、シゲシゲと眺め回すというのが正しいのである。

彼は、ダダとか、ネオダダとかいう趣旨のグループを作り、不毛なる作品作りや展示。

現代芸術というのは、ああいったものだと思う。

例えば、梱包という作品は、椅子や扇風機、バッグなどを、茶紙や、自作の偽札の包装紙などに包み、藁かな、紙の茶色いヒモなどで緊縛縛りした作品。

1995年に、1964年に発表した作品を再度リメイクしたのが、今回展示してあった。さすがに1964年の品というのは、もう、壊してしまったのだと思う。紙の作品だからね、ボロボロということもあるだろう。

作品の耐久性ということに関しては、よくよく考えなければならない。

今回、チケットは、収集家の知人が、自分のコレクションを出すというので手持ちがあり、特別に譲って頂いたのだが、自腹でも行こうとは思っていた展覧会である。

赤瀬川さんは、展覧会開催直後に天国に召された。

何人かの人が、アタシに、「赤瀬川ってホントに死んだの?」

と尋ねてきた。

オジャラ「テレビでそう流れてたから、ホントじゃないの?広告宣伝活動ってこともあるかもしれないけどさ。ホントっポイよ。」

という会話。

自分の展覧会が美術館で開催されるという夢を果たし、思い残すこともないのだろう。力尽きたという大往生だと思う。

ご冥福をお祈り致します。天国でも楽しい作品をお作りください。天国でも拝見させていただきます。

気分的には、そんな感じである。

ビデオの映像が流れていて、

赤瀬川「現代美術の表現は(法律やモラル)ギリギリのところでやらないとならないから、大変だった」

と話されていた。

まあ、そういう、ギリギリ作品で話題を集めるというのは、理解できなくはない。

ただ、それは、作品の力ではなく、プレゼンテーションの能力ということではないのか。

本当に作品が優れているのであれば、そんなこと(派手なパフォーマンスや、違法か合法かが問われるような議論など)はする必要がない。

見るもののうち、芸術を理解できる僅かな人間は、もし、その作品がホンモノなのであれば、必ず、その作品の芸術性に気づく。

そうして、芸術の度合いが高ければ、その作品が世にでないということはない。これだけは確かなのである。

余計な工作もプロモーションも不要である。

赤瀬川センセイが、偽札を作った話や、一連の作品で裁判になり、作品が警察に押収されたり、あの感じだと一審は有罪だった感じなので、上告した書類なんかが、展覧会に展示されていて、それはそれで臨場感があった。

ネオダダから離れたのか、まあ、収益そのものは、現代アートで生活するというレベルまでは難しいだろうからね、彼がイラストやデザイン、執筆活動などにシフトして、現実的なところで収益を得てきたというのは、納得の行くところである。

アタシも現代系にシフトしてから、実は作品は販売していない。

自分では売るつもりもないし、それほどの作品でもない。

ある程度まとまらないと、展示会ができないからね。

ただ、作品というのは、ぼんやりしているとできてしまうので困る。

赤瀬川さんの初期の、オブジェ的な作品なんかは、私の心を動かさなかった。

ニセ札を現金書留で送った封筒の束とかは面白いと思ったけど。

買うほどでもない。

ニキッドサンファールや草間弥生の作品なんかを見れば、クオリティーの違いは歴然である。

作品というのは、もっと可愛くなくてはならないのである。

可愛い現代アート。

ここだわ。うん。

コラージュの作品なんかはイイのもあった。

アタシが一番心を動かされた点は、絵がものすごい上手いというところだと思う。デザインのロゴや表題を含め、イラストまで全部手書きというセンスが、デザイナーでございますというオーラに満ちている。

今でこそ、イラレが使えれば、誰でもデザイナーである。

手書きで作る必要がない。

私は、門脇さんの絵や書体のことを思い出した。彼は、たぶん、パソコンでイラストや題字を書いているんだろうと思うけど、彼のワールドがシッカリあって、私は、彼の絵を他の人と見間違えることはない。

昔は、デザインというものは手で作ったものだからね。

そういう、聖域というか、ものすごい高い技術を持っているというところが一番感動したかな。

写真もヨカッタ。

ほとんどの写真はイイなと思った。世の中になくてもいいものを撮影しているというテーマもステキだった。

マンガは、絵は上手いと思ったけど筋はイマイチ。

途中で飽きて読むのをやめてしまう。

まあ仕方がない。漫画家の才能こそ稀有なのだ。現代芸術家ごときが追随できるはずがない。

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