◆◆◆ 2089 ★ 茶道 おじゃら流、復活か? ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.9.29.

夏のあいだの湿気で、少し色が悪くなった茶の粉に、クリープと砂糖を入れて泡立てる。マッチャシェーク的な品物。

久しぶりにカエル型に点ててみる。

まあ、これはこれで楽しい。

茶道の原点というのは、「精一杯のおもてなしの心」

この一言に尽きる。

招いた、もしくは訪ねてきた客を、どのように楽しませるのかということが、主の最大の関心事なのである。

ところが、ありきたりの道を歩いて来た常識のなかには、面白さを磨くという時間が不足しているんだろうかね。

心の柔らかさというのは、カンタンには磨かれないということになる。

私は、古本で買った染付の陶器を楽しむ本の中に、小さな記事で、「抹茶を月形に点てる流派」というのを拝見した。

表とか裏とかではなかったけど、ネットでは出てこない。確か、表は、泡はそんなにたてずに静かに攪拌。かすかなる泡を月形にまとめるという点て方もあるみたい。

まあいい。アタシは、その記事を見て、月形にできるのであれば、カエル型もできるだろうと思ったのである。(すぐに試してみた)

茶道という道は、もともとが、戦国武将の密談の場であったし、閉鎖的な空間で、主要人物だけが集まり、ヒソヒソと重大事項を決めたらしい。

茶道は建て前ということになる。

まあ、そういう、空間や、美意識みたいなものも、同時にタノシンデイタとは思うけど。

信長が、茶室を建てるのには、戦で手柄をたてたものなどと決め、誰にでも作れるということではない付加価値を与えたことも大きかったと思う。

要するに、茶室は身分の高い軍人の社交場、茶道具は土地や金と並ぶ褒美。

ということになる。

信長は、茶道や利休を利用して、価値の無いものを価値あるものに昇華させたということになり、そのビジネスセンスは、他のモデルを圧倒的に引き離す偉業だったと思う。

そういった中で、当然に、豪商なんかも、茶を愉しみ始める時代になってゆく。

いつまでも戦ってはいられない。

茶道も、経済活動だったと思えば、茶碗や茶道具の不当な値段についても納得がゆく。

茶道を習っていた人たちの話のほとんどは、「金が続かないから辞めた」

という理由である。

正月には新しい袱紗を作るとかいって、何万円も取られるとか、センセイの見立てた茶碗を何万円で買うとか、

センセイの免状を取るために、何万円とか。

そういう世界なのだそうだ。

私は茶道は我流のため、長らく人に教えていただいた経験値の人と、正しい茶道の話はできないだろうとおもう。

理由もないのに、家元のことを尊敬できたりもしない。

陶芸のセンセイであれば、技術があるけどね、茶道というものは、自分で道具を作ったりはしないもんね。

作るとすれば、茶杓ぐらいだろう。

私は、作家だから、茶碗ぐらいは作るけど。茶道というのは、基本的には、そういう(自分で何かを作りもてなすという)美意識ではない。

左、拾ったマナイタ(漂泊済み)

A4にカットした半紙

アトリエにあった大きい硯と書道セット

あれだよね、硯箱、いいのが欲しいわね。

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