◆◆◆ 2042 ★ かみ合わないアート論-2 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.7.13.

女「ピカソの絵って色がキレイですよね。」

オジャラ「絵にもよります。色の無い絵もあるし」

彼女の発言は、常に主観的で、しかも幼稚だと、再び思う。

しかも、この人は、たいして、絵を見ていないのだと思った。

アタシが、ピカソの図録を出す。

最近のピカソ展の図録で、どちらかというと、前衛色バリバリの内容。

彼女は、図録を見て、

「ああ、こういう絵は良く解らない。でも、この絵なんか、色が物凄くキレイですよね。」

その絵は、ベージュと、ブルーがメインの絵で、彼の色彩を賞賛する絵ではなかった。

オジャラ「この絵は、たぶん4色ぐらいしか使ってないですよ」

アタシは、図録を見ながら

「ほら、この絵はね、何がなんだか全く解らないでしょ。でも、こっちは、女性だって解る。

だからね、全く解らない方は、前衛芸術、解るほうは、近代芸術なんですよ」

この人にいくら話しても無駄だろうとは思うが、自分の考えていることを整理するのにはイイチャンスである。

女「ピカソは、物凄い上手い絵も描いていたのに、どうしてこういう、よく解らない絵になったんでしょう。」

オジャラ「ありのままに描くよりも、自分の絵を壊すことの方が難しいでしょ。彼は、生涯に渡り、自分の絵を壊して、新しい表現に挑み続けた。

その偉大なる画業こそを、皆が評して、彼を天才だと呼んでいるんですよ。」

女「私は、ありのままの絵を描くほうが、絵を壊すよりも、難しいと思うんです。鬼よりも犬は難しいっていうじゃないですか。」

オジャラ「ああ、マツダショウヘイ先生の言葉ね」

女「???」

知らないんだ。

ま、いいか。

アタシは、マツダショウヘイ先生の油彩のことを思い浮かべた。いつか、一枚は欲しい、透明感のある、美しい絵である。

彼の絵が、ありのままだったかといえばそうでもないし、画家として、絵がどうだったかといえば、被写体から離れない、ありきたりな絵が多い。

それは、中川一政とか、梅原隆三郎だってそうである。そういう、被写体から離れない絵のことを否定しているわけではないが、ピカソやミロと比較することはできない。

せいぜい、ゴッホや、モネが精一杯であろう。

という話をしても、仕方ないか。

絵の自由さということは、彼女は考えたこともないのである。

オジャラ「アナタこそ、自分の絵を壊したことがあるんですか?」

女「よく解らない絵よりも、よく解る絵のほうが、難しいと思うんです。でも、先生は、アタシの絵は、つまらないというんです。もっと壊さないとって。」

オジャラ「それは、つく先生がまちがってるんじゃないんですか。自分の作りたい絵を作りたいように作れなかったら、その人に習う意味がないですよね。」

女、「私、モネの睡蓮が大好きで、絵が、セザンヌや、モネの絵に似ちゃうんです。」

そりゃ、すげーと内心思いながら、ここはスルー。

女「テレビで見た、日傘をさす女。あの絵、素晴らしいですよね。」

オジャラ「この前日本に来てたの、アタシ、見ましたよ。」

女「え、ホントですか?」

オジャラ「最近ですよ。あの番組で放送されてる品は、近々に、東京で展覧会がある場合が多いです。美術館の前宣なんですよ。」

女「ああ、そうなんですか。」

オジャラ「あの絵のオーラ、物凄かったですよ。」

女「モネの絵ですよね。」

オジャラ「あれは、マネの絵です。」

女。「あれは、モネの絵です。マネの絵は、あの、笛を吹く少年です」

アタシは、パソコンで、画像をググル。

オジャラ、「アタシが見たのはこの絵です。これは、マネの絵ですよ。モネの絵に似てますけど。』」

この人が、マネの絵とモネの絵の見分けが、難しいことは確かにあるが、あんなに有名な絵は間違えないでほしい。

まあいい。

というように、彼女とアタシのやりとりは、ずっと噛み合わないままだった。

オジャラ「とりあえず、デッサンやったらどうですかね。3000枚ぐらい描いたら、それなりに、見れるようになると思いますよ。」

女「先生も、2000枚ぐらい、絵を仕上げろって言ってました。」

誰だって同じ事を言うものである。

が、前の先生に言われたときに、彼女は行動に移さなかったわけで、きっと、アタシがそう助言したとしても、彼女は、きっと、絵を描いたりもしないだろうと思う。

ただ、2000枚描ける人など、そんなには存在しないというのは、アタシも理解できている。常人ではないのである。

それこそが画家の資質であり、最低限必要な能力のうちの一つである。

女「絵の話は、(みんな無知で)カルチャーでも、ちゃんとできないし、イロイロと話せて勉強になりました。」

個人的には、その程度の知識で勉強したとか言われても、アタシも困るし、別段、ちゃんと絵の話が出来たとも思えない。しかも、マネの絵とモネの絵間違えてるし。

彼女は、「前衛芸術こそ、美しくないと意味がないと思うんです。」

ある意味真かなとも思うけど、その前に、前衛芸術が何かを受け入れてからにしてもらわないとね。

印象派の展覧会ばかり見ていて、画家きどりでは、前衛芸術の話がアタシとできるはずがない。

オジャラ「印象派に限らず、イロイロな表現を見て歩くと勉強になりますよ。」

印象派など、100年前に終わった芸術である。

今だに、日本で流行っているのだとすれば、それは、日本人の感性も、まだ100年前で止まっているからであろう。

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