◆◆◆ 2019 ★ バー THE SUN のビールタイム ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.6.15. THE SUNでのビールタイム。 今日は、もとカウンセラーのR氏との会話。 R「先日、作品集を拝見したのですが。」 オジャラ「飲み屋なんだからさー、敬語はやめてよー。気軽にね。 そんで?」 R「女の人の絵が多いじゃないですか。あれは、どうしてですか?」 オジャラ「男の絵は売れないんだよねー。」 R「あーっ。」 オジャラ「アタシ、バリ島の芸術の村ってところに4年ぐらい住んでたんだけどね、そのときに、裸婦をモデルにして、クロッキーを大量に描いたのよ。」 R「・・・」 オジャラ「アタシは、絵は我流なんでね、頼るものがないわけ。インターネットで、『裸婦やクロッキー(貝殻や植物の早描き)を繰り返すと絵が上手くなる』って教えてくれた人がいてね、バカの一つ覚えみたいに、裸婦を大量に描いてたの。」 別段、裸婦を描きたいということではない。 正確には、何でもいいから、描き続けていれば、絵は上手くなるに違いないという信念である。 ところが、何を描くか考えると、絵というのは行き詰ってくるのが普通である。 |
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オジャラ「アタシはね、絵を描くときには何も考えてないの。まず、女を描くでしょ、ネコを描く、花と太陽を書き入れて完成よ。」 R「うん。ほら、僕、前、カウンセラーだったから、絵を見て、色や、モチーフなんかを見て、この人がどういう感情なのかって考えちゃうんですよ。ゴッホとか、ムンクなんかの絵とかね」 オジャラ「あは。両方とも病気じゃない。」 R「あと、異常な性癖とか」 オジャラ「ロートレックだってゴーギャンだって梅毒で死んだのよ。」 という、ディープな会話。 R「オジャラさんの作品って、色が明るいですよね、原色も使ってるし。」 オジャラ「あたし、精神状態で言えば、ずっと軽い躁状態が続いている状態なんだと思うわ。 でも、作品を作るとね、アドレナリンが出続けるから、物凄い気持ちいいのよ。だから、ウツにはならないの。」 R「なるほどー。」 オジャラ「画家の精神力というのはさ、絵がどんなに下手でも、自分の絵がイイと信じる信念だけに支えられてるの。自分の絵を自分が信じられなければ、描き続けることはできないのよ」 R「はい。」 オジャラ「だから、他人がどんなに変(狂気の中にいる)だと思ったとしても、それは仕方のない事なの。」 原色が多いっていうのはさ、ぶっちゃけ、印象派パレットという、ルノアールやマティスが使った色を中心に絵を描いているからというのが一つ。 もう一つは、混ぜると、ひび割れたときに直すのが面倒(正確には違う絵になっちゃうから)という、由緒正しい理由があるにはある。 |
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図録の第一号には、実は、前衛的な作品は載せていない。 あの頃は、まだ下手糞だったし、油彩については、画力がそんなに上がったってことでもない。 オジャラ「最近は前衛的な作品しか作っていないの。 でも、それは、わざと、あの図録には載せなかったの。みんなビックリしちゃうでしょ。理解できない作品というのはね、鑑賞者には嫌悪感も伴うのよ。」 R「はい」 オジャラ「図録見てもらうだけで嫌われてもしょうがないじゃない。」 オジャラ「昔はね、これでも、薔薇の花とかよく売ってたの。薔薇ばっかり描いてさ。 画家としてどーよ。 薔薇の画家とか言われてさ、薔薇の絵ばっかり紹介される画家って、いいと思う?」 R「ですねー」 というように、アートと精神の話は深い。 |
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前にも、ちょっと描いたと思うけど、アタシは、正式な絵の教育は全く受けたことが無いけど、大量に絵を描き始めた、アールブリュットという類の才もあるんだと思う。 ただ、作品がどうならなければならないのかも考え、名画や美術品を見ながら勉強し、自分の足りないところを見つめている最中である。 世界的な画家になど、なれないのが普通である。 かといって、可能性はゼロではない。 まあ、ここが、イカれているところなんだと思う。 創作者には、ある種の狂気とセットでないと、出来た作品というのは、人の心を動かしたりはしない。 私は、感情のコントロールというのが、上手くできる。 R氏とも話したけど、今日も、公募の情報を見ていて、作文や論文も書いている。 というような話になれば、 オジャラ「何かしてないと、不安じゃない。自分を、公募で逃避してるんだと思うわ」 R「それで、精神が安定しているんでしょうね。」 今日のビールタイムはこれにて終了。 おやすみなさい。 |
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