◆◆◆ 1999 ★ バルテュス ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.5.24. テレビ番組を見る。 バルテュスという画家がアトリエにした数箇所の場所を訪ねて歩く番組、 当時のモデルや、奥さんの息子さんなどもテレビに出てくる。 美少女の絵を描いた男の絵の軌跡である。 晩年は、古城を買い取り、そこをアトリエにしているようだった。 どうやって買うんだろう。 という謎が残る。 彼のちょっとワイセツな、ロリータ系の美少女の裸体の絵などは、描きあがると、画商が持って行ってしまうのだという。 画商やパトロン達が、彼に金を貸し、城を買ったのだという。 うーむ。 城っていくらぐらいするものなのか? あらゆる画家がピカソの影響を受けた時代だったのだそうだ。 ピカソに迎合せず、自分の絵を描き続けた彼について、ピカソは評価したのだという記録が残っている。 彼の絵も一枚ピカソが購入したとも。 良い絵である。 |
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番組では、バルテュスが、美少女達にワイセツ行為をしていたという悪評を払拭するような内容に仕上がっていた。 正直、隣家のまだ十台前半の少女にワイセツ行為を働いたのだとすれば、相当な問題になっていただろうし、家族だって、いくらモデル料を払っていたとしたって、大騒ぎになっていたに違いない。 何人ものモデルが出てきて、その子たちが、それぞれの個性を持つ、強い意思を感じる美少女なのでアタシは嬉しかった。 美少女の絵を描こうと思ったことはなかったけどな。 美少女のコレクターとしては、別段、描いてもおかしくないよなと思ったりして。 あはは。今更ね。 |
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モデルを前にして絵を描けば、そのことは、アナタにも理解できると思うけど、モデルと画家というのは、ある種の信頼関係で結ばれていることのほうが多い。 クリムトみたいに、下半身は常に裸体で、複数の、行き所を失っている娼婦を集めて、面倒見る傍ら、裸体で生活させ、彼女たちの絵を描いたという話は、特別中の特別のように記憶する。 ピカソだって、一応はクリスチャンなので、最初の奥さんはとうとう離婚してくれなかったはずだし、その後、何人もの美女と恋とバトルを繰り返しては、新しい作品だけが残っていったという、そういう画業だったことを思えば、バルテュスが、複数の少女のモデルと共に、名声を手にしたということは、理解できる話である。 アタシは、彼の作品は、カネコさんの作品に似ていると思い、ゾっとした。(正確には逆だろう) まあ、どんな人であっても、優れたものに、影響を受けないということはできない。 平面の表現というのは、画材などが同じなので、どうしても似てしまうこともある。 |
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そうして、ロリータ系の作品は、誰も賞賛もしないし、表にでてくることもないのに、収集家達の間では高く売買されていて、それなりの知名度があるということにも驚いた。 満寿夫の作品などは、その筋の作品にしては、芸術度が高すぎるということなのか。 こうなると、大人しくさえ感じられるから困る。 古城を買ってアトリエに、、、、ねぇ。 新しい夢がまた一つ増えたわね。 あは。 とりあえず、バルテュス展、混まないうちに行かないとな。 |
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