◆◆◆ 1996 ★ ピカソ陶芸展@埼玉近代美術館-2 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.5.17.

やってみるとわかるのだが、陶芸の絵付けというのは難しい、

理由はいくつかある。

(1)釉薬は粘りがなく、塗りにくい。細かい作業に向いていない

(2)絵の具の色は、化学反応により、焼くと違う色に変わる。ので、何色を作り出したいのかということを考慮し、彩色しなければならない。

(3)同じ釉薬を使っても、窯入れの場所などの僅かな温度変化などによっても、色が違ってしまうことが多い

などがある。

ピカソの陶芸の場合、素地はプロの陶芸家が作り、絵付けを主に彼がしていたということのようだが、彼の許可を得て、彼のサインを入れた復刻判のような作品も存在しないわけではない。

展覧会を見ていると、最初は、釉薬の使い方が解らずに、ものすごくヘタな出来上がりになっているが、次に並んでいる作品は、物凄い勢いで絵の具の特徴を会得し、彼の作品に仕立てているというような、天性の才能。

そうして、陶芸には様々な表現方法があるため、筒描きや、型を使った作品などにもチャレンジしている。

それは、自分の思った出来上がりに対して、様々な技術に挑戦しているという軌跡であり、品質が安定していない作品が多く展示されていたということになる。

ヨイやつは、きっと、金持ちの収集家や有名美術館収蔵のため、借り出せなかったというところだと思う。

ピカソの作品は、解りにくいとか、イイと思わないなどという人もいるけど、それは、彼の作品の一部しか見ていないからに過ぎない。

右のふくろうのシリーズはわかりやすいし、物凄いカワイイ。

ハト型の花器や、人間の顔が描かれたプレートたちもかわいかった。

無地の素焼きの品に、筋を入れただけの作品もある。

勢いのある線によるは、ホントウに素晴らしいと感じた。

ピカソの絵を鑑賞するポイントは、いくつかある。

まず、彼は、実在する品物や、人間しか描かなかったという事実である。

それを、キュビズムで展開したり、もっと具象的な表現に置き換えたりというのを繰り返し作った。

なので、作品を見るときには、それが、人物かどうかを確認することである。

男女が交じり合っていることもある。

キュビズムの場合、紙飛行機の展開図のように、多方向から描かれた人間の手足、顔のパーツなどをバラバラに配置していると考えればつじつまがあう。

彼は、一人の人間の目を三つ描いたりはしなかったという話を、何かで読んだ気がする。

なので、目が三つある場合には、人物は二人いると類推できる。

手の指が六本あることはあるみたい。

あとは、バラバラ感を更に増幅した作品もあれば、単調化した作品もあるという風に見てゆく。

前頁にも描いたけど、芸術作品の鑑賞方法は簡単である。

その表現が、(今までの常識や方法には囚われない)自由な表現であるかどうか。その人が描いた作品かどうかが顕著に現れていること。

主に、この二つだけである。

そういった中に、動きであるとか、感情表現、瞬間表現的な、『動』の要素。

他人が追随できないような、絵の上手さ。

多くの人を引き込むような大衆性。

そういったものも、備えている場合にのみ、その作品は、後世まで大切にされる。

というストーリーが出来てくる。

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