◆◆◆ 1981 ★ 来客 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2014.4.×.

とある男の来客がある。

私が、外出しているときに、その男は、画廊の前に立ちすくみ、電話番号をメモしていた。

ちょうど帰宅した私が声を描けると、何事かを話始める。

私は、ギャラリーの制作スペースを広げるため、大きい作業台を作っている途中であり、部屋の中はぐちゃぐちゃで、座る場所もない状態である。

が、茶を一服点て、椅子一つの荷物を何とかどかし、彼をそこでもてなした。

男「私、以前、四年程前にも、こちらにうかがったんです。」

オジャラ「へぇ、そうでしょうね。来たこと無い人は、普通、画廊の前で立っていたりしませんからね。覚えていなくてスミマセン。」

男は、そのあと、自分は精神に障害を持っているけれども、絵を描いていることを話し始める。

そうして、以前、私に、「書き続けているといいことがありますから、続けてくださいね。」などと言われたそうである。

私は、誰にでも、同じ話しかしない。

「続けていれば、作品は必ずよくなる。ので、諦めないで、前に進んでくださいね。」的な励ましである。

絵を勝手に描き続けるというのは、誰にでもできることではないからである。

私は、そのときに、精神障害人であるとか、絵の教育を全く受けていないけれども、絵を自発的に大量に描いている人の話をしたのだそうだ。

彼らを「アールブリット」という総称で呼び、支援している人や、集めている収集家、間を取り持つプロモーターや、画商もある。

男は、その後、そういった公募展などに出品し、今では、作品は外国に巡回しているのだという。

うっひょー。

アタシも、いいことしたね。

今回、彼は、次のステップに進まなければならない。

オジャラ「作品は販売できているの?」

男「売るつもりはありません」

オジャラ「それじゃ、画家じゃないわ。画家っていうのはね、絵で生計を立てるというのが業なの。それ以外は、道楽とか、趣味っていうのよ。」

精神障害者にも、過酷な現実を突きつけるアタシ。ウチに自力で来れるというのは、ある程度の社会活動はできる障害レベルを示す。

オジャラ「あなたも、自分の性格的なものとか、病気とか、イロイロあるから、ムリは言わないけどね。そういうことも、少しは考えてみてね。働くことができなくても、絵が売れて、収益を得られれば、もっと良い生活ができるようになるわよ」

アタシだって、誰にも頼まれたりしないで、勝手に絵を大量に描いているんだから、アールブリュットに間違いはないのである。

あはは。

ある人にそう指摘されたことがあった。

アタシは、「まあ、そういうところもあるんだと思う」と答えた。

その話は別にして、私が何故絵を売るのかという話をする。

一つは、危険分散である。

一箇所に集約していると、地震や火事などが起こると、すべてがなくなってしまうという実体がある。

ので、絵は、なるべく分散して置いておくのがいい。

安くても買ってもらい、いつでも貸し出してくれる人に持ってもらうというのが、絵の幸せでもある。

本物の収集家は、私自身よりも、ずっと絵を大切に扱ってくれるのである。

手持ちの絵の話をすれば、山積みにされた品は、ゴミブクロに入れられ、長期間放置という表現が正しい。お客様の希望の作品があったとしても、見つけ出すことすら困難な管理状態なのである。

もう一つは、良い画材に絵を描かないと、絵が劣化してしまうという話である。

ピカソやマティスが、「アルシュ」という紙を愛用していた話は有名。

画商は、彼らの作品がマーケットに流れてきたときに、まず確認するのは、何の紙に描かれているかというところらしい。

紙が、アルシュだから、本物臭い。

図録(レゾネ)に掲載されている作品かどうか。

誰が持っていたのか。

というような順番である。

アルシュは、ぶっちゃけお高い。

アタシは、版画はハーネミューレに作っている。カラーインクの作品の、イラストの原画なんかも、ハーネミューレのことが多い。

まあ、そういう筋の紙(すなわち、中性紙)に描け。

ということである。

私は、秘蔵のハーネミューレの小さい紙を彼に一枚差し上げる。

オジャラ「これに描いてみて。気合入るからね。

気合の入り方が変わると、絵もずっとよくなるよ。

だからね、そのためにも、いくつかの作品は、手放して現金化すべきだというのがアタシの考えだよ。

もしね、関わっている人が信用できないということであれば、そのときには、また相談に乗るからね。」

そのあと、画廊と画家の取り分の話とか、そういうときに、どう考えて、前に進めばいいのか。

そういう、覚悟のような話をし、彼は、うなづいた。

絵を売る必要の無い人は幸せな人である。

だけれども、愛着のある品ほど、手放して、良い人にもってもらうことが、画家の業であり、それ以外の道はない。

オジャラ「悪いけど、アタシ、改修工事の続きがあるから、帰ってくれないかしら」

と、彼に帰ってもらう。

ホントウに散らかっていて、早く作品を作りたいのに、人と話していると、いつまでたっても、台が出来上がらないからである。

この日は、忙しくて、ゆっくりできなくて、ごめんなさいね。

また遊びに来てくださいね。

アタシは、男にこういう。

「もし、絵で有名になったら、アタシの絵も買ってくださいね。」

男は、ハっとして、あははと笑い、「今度ビール持ってきます」

と答えてくれた。

YES。

オジャラ「ああ、それは忘れないで」

という会話。

HPを通しての、アタシの、『手土産はビールにしてね』作戦は、かなり浸透してきたようである。ワインでもいい。(カベルネ系の辛口、できればイタリアかスペインにしてほしい)

おじゃら画廊

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