◆◆◆ 1961 ★ 細江英公さんの講演を拝聴 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送
(あとはいつでも見れますよん)
2014.2.9. いよいよ、葛飾シンフォニーヒルズ(住所 立石6-33-1)にて、細江英公さんの講演の日。 昨日の大雪、45年振りの、25センチの積雪のため電車が動いていなかった。 という理由からS君は欠席、メガネ君は早めについたみたい。 アタシは、電話で遅れることを詫び、展示室の写真を先に見ていてくださるようにお願いする。 四十分前に到着し、メガネ君と展覧会を鑑賞。五分ぐらい前に講演会場に入る。 そのころ、昭和サロンのマスターも、ギリギリ到着。 雪で交通網が乱れていて、空き席が目立ったのが残念だ。 どの人も、この日を楽しみにしていたに違いないのに、電車が動いてません。 |
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講演内容は、ご挨拶、葛飾での幼少の思い出、 自宅が神社で、父様の暗室があり、高校時代ぐらいから、現像などの手伝いをしたりしていたよう。 写真の学校に進んだり、アメリカ人基地に入れてもらい、写真を撮影させてもらったり、英語の勉強をしたり。 英語はご堪能のようで、うれしかった。 手持ちの有名写真を、スライドで、エピソードを交えて紹介してくださった。 モデルさんや、撮影のエピソードなど、特に心に残る話ばかり。肉声によるプレゼンテーションというのはスゴイね。 |
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細江先生は、薔薇刑や、鎌鼬(かまいたち)などの本の紹介をされるとき、謙虚に「大きい図書館などに行けば、普通においてあるはずなので、機会があれば見てください。高い本なので」 などと話された。 学生時代には、学校にはあまり行かず、瑛九先生のアトリエに入り浸っていたという話になる。 瑛九が主催する作家の会にも入っていたのだと。確かに、彼のフォトデッサンは、アタシも心を動かされた。写真家の彼であれば、そのドキドキは、アタシ以上なのは間違いがない。 そうして、鎌鼬(かまいたち)で撮影された子供たちが、自分の展覧会を見に来てくれたとうれしそうに話してくださった。 「普通のオバさんでしたが、、、。」 みたいな感じ。 そうだろう。もう長い時間が経っている。フツーにアタシが生まれた頃の話で、子供たちもそれぐらいの年齢ということになる。 先生は、写真に掲載された人たちは、みな自分の写真集を(高いものなのに)買ってくれて、大切にしてくれているという話をし、うれしそうだった。 講演は、あっという間に二時間が終わり、雪の中、がんばって行ってヨカッタと思った。 |
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昭和サロンのマスターは、まだ展示を見ていないというので、アタシも一緒に見ることにし、メガネ君は、選挙があるというので帰宅。立石で一杯引っ掛けたという報告アリ。 マスターは、北千住で芸大のイベントに参加するということで駅で別れる。 細江先生の作品は、60-70年ごろの、たぶん手焼きと思われる写真群が極まっているため、以降の作品にも同じインパクト、それ以上にインパクトを求めてしまう見る側には、物足りないと感じるかもしれない。 ギャラリーの前で、写真を撮影している人は結構多い。細江先生の展覧会のチラシを渡すと、「スゴイ」と言い、見に行ってみますとうれしそうにする。 そうだろう。 優れた作品を知ったら、見るまでは誰だってわくわくするものである。 あんなに素晴らしい写真群を残してきたのだ。数少ない、日本の芸術写真家先生を一目見ることができ、お話を拝聴できたという、なんという幸運。細江先生、よいお話をありがとうございました。 昭和サロンのマスター、いつも、アートの情報ありがとうございます。 追記 当日メモした細江先生の言葉 1960年頃から本格的に芸術を考えながら写真と向き合った。 ●浮世絵写し 全く異質のものであるが、500年前の作品と一緒に展示をされ、負けちゃいけないと思う。 ●人間の表現 芸術というものは、主観的なものが中心となっているが、写真というものには客観的なものが含まれている。 様々なものが主観と客観を含むものが入り乱れたもの、写真対象を良く見ながら撮る。 ---自分が好きなもの、美しいと思えるもの、主観と客観が入り乱れながら、自分の作品になってゆく。 |
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