◆◆◆ 1920 ★ ケリー天国へ-7 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2013.11.29.

スーから連絡が入り、ケリーは、月曜日の夜、いつものように、知人たちと飲み、食事をし、その後に歌を歌おうということになり、歌を歌っている最中に意識がなくなり、そのまま天国に召されたのだそうだ。

享年五十歳。

(ここで初めて気付いたのだが、彼女はアタシに対し、年齢を詐称していたの。あは。)

ウブド(私たちが住んでいたバリ島の村)には、外国人向けの病院もあったけどね、現地生活が長い彼女がそこに運ばれたとも思えない。

地元の診療所は、保健室程度の設備しかない。

心臓マッサージなどをすれば、息を吹き返したのか。

後遺症が残った場合、どちらにしても、助からないかもしれない。

感じとしては、心筋梗塞か脳卒中だろうと思う。

寿命というものは、人それぞれに定められているという考えがある。

自分にはどうにもならない力なんだと。

そう考えれば、少し心が和らぐからである。

ケリーのお気に入りの夢二の赤い着物の絵

夫に話すと、「ああ、プラノトさんの奥さんか。仕方ないよ。あそこじゃ、俺たちだって、そうなってたよ。」

オジャラ「うん。」

そういう場所なのだ。

東京なら助かっていたと思う。

だけど、医療費が払えたのかとか、そういう問題もある。

脳死状態で何年も生き残る場合もある。

陶芸の先生も、たぶん、癌だと解った時には、ステージ3以上だったか、もしくは、生涯つづけなければならない抗癌治療の費用についてとの勘案だったと思う。

親しい人の死というのは、精神を成長させるね。

先日、放送大学で、死への準備という番組が流れていたけど、まあ、自分の死というものを受け入れるというのは、自分が死ぬと宣告されたりしないと考えないものだからね。

アタシは、随分若い頃(高校時代)から考えていた。

今死ぬかもしれないから、悔いの無いように行きよう。

そんな生き方をである。

人は、死なないということは出来ないのである。

無常という言葉は、残された人を救ってくれる。

MIXIの知人が、「もし、寿命がなかったら、一生懸命生きようとか、今を大切にしようとは思わなくなると思いませんか?」

と話していたのを思い出す。

人生というのは人それぞれなのだから、その人が、その人らしく、その人の主観でハッピーであれば、それが一番素晴らしいのである。

ということで、門扉の下絵でも描こうかなと思う。(意味不明ですみません。)

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