◆◆◆ 1917 ★ ケリー天国へ-4 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2013.11.28.

バリでのクロッキー会は、芸術の村ならではの、特別な場所だったと思う。当時描いたデッサンたちは、アタシの画力を一気にあげてくれたと信じている。

これは、M嬢のクロッキー。

アタシのユカタを着てもらったときかな。

アタシも、ネットやなにかでモデルを募集してたんで、セニワティーでも、何人かの日本人にモデルになってくれるように頼んで、日本的なクロッキー会にしたり、バティックやイカットのコレクションを沢山持っていたので、それらで会場を装飾。

庭に咲くハイビスカスやなんかも持参して、クロッキー会を盛り上げた。

みんな、何にも言わなかったけどな。あはは。

マティスの絵もそうだけど、ゴージャスな布が絵に配置されると、絵が良く見えるからね。

そんなある日の話、M嬢が、着物のモデルをしてくれるときに、ケリーが、カラーインクを描く紙が無いって騒ぎ始めて、

アタシの紙を一枚あげたことがあったんだよね。

そうしたら、プレダン紙だったので、しかも、パリの劣悪な環境で、劣化しちゃって、グッドなコンディションじゃなかったの。

確か、この会のとき。

赤い腰巻だった。汗。

日本人の薄い黄色い肌は、ホントウにキレイ。

セニワティーのグループ以外の日は、毎回3時間の固定ポーズなので、アタシは、油彩を1.5枚ぐらい作る感じ。

できるところまで進めてあとは、家で加筆。

上の絵が、クロッキー会で描いた部分

アトリエで少し、加筆して完成

ケリーは、途中まで描いて、紙が悪くて、絵が思うように作れないと解ると、大声で泣き出して、ご主人のプラノトさんが、ひたすらなだめていたっけ。

オジャラ「ケリー、ごめんなさい。でも、アタシに悪気はなかったのよ」

ケリー「もう、このモデル、このポーズは、二度と描けないのよ、りか。」

おじゃら「アタシは、あなたが紙がないっていうから、親切心から一枚あげただけで、悪意はなかったわ。」

という会話。

彼女は、残りの一時間ぐらいの間、油彩ペンで小さい絵を描きながら、ずっと泣いていた。

あのときはゴメン。アナタの情熱について、もっと知っていたら、アタシだって、だいぶ古くなった紙をあげたりしなかったと思う。

 ケリーのは、確かこの絵だったわね。

あはは。彼女的に、失敗してこれだからね。

全く、才能の違いというのには嫌になる。

その時には、そういうこと、考えたことなかったよな。

絵に対して、バカみたいに真っ直ぐだった。

アタシは、このときに、スゴイ人だなあって思った。

絵のために、泣いたことが、アタシにあっただろうか。(未だにないかもな)

それにしても、下手くそな絵だわ。

はぁ。

とりあえず、早いというのは、誰よりも早かった。

他の人が、まだ、カンバスに、木炭かなんかで下書きしてる横で、一気に描き進めて、ほとんど完成しちゃうからね。

クロッキーで描いた作品というのは、基本的には本画じゃない。

そういった修練を積み重ねて、自分なりの絵は、クロッキーなんかを見ながら、別な本画に展開していくのが普通だと思う。

だけどまあ、毎週、絵の学校みたいに、三回も四回も裸婦を描くと、早書き的なテクニックがものすごいついてきて、それは、本画作成のときにも、ものすごい役に立つ。

ケリーは、このころ、外に出て、バリ島の花やなんかの風景画も描くようになっていた。

印象派の画家の絵のような、明るい色彩の花や風景は、オイルパステルで描かれていた。

人物の、カラーインクの柔らかい色の重なりとは対照的な、彼女の激しさ全開という色遣い。

それらを、450ドルとか500ドルで売っていたことは、もっと驚きだった。

ケリーが描いたパステル画

(オイルだと思う)

おじゃら画廊

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