◆◆◆ 1847 ★ ついでに、ノートの整理 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2013.10.4.

美術番組などの感想は、はじめはメモなどに書き、日記に記したあとは、ハキしていたのだが、それだと、自分の心情が残らないと感じ、ノートに書くことにした。

天心の話があったので、今日は、自宅で使っているノートをギャラリーに持ってきたので、他の話も転記しようと思う。

★人物が最大の優美さと生命感を持ち得るのは、動いていると見えることである。この動きを表現するには、炎の揺らめき以上にふさわしいフォルムはない。

ジョバンニ パウロ ロマッリオ 絵画評論家

★不写形

真を写して、形を写さず

加納鉄哉(芸大彫刻科初代教授)

徽宗皇帝の猫

徽宗皇帝の猫

竹内栖鳳

★日本の絵は実物というものを離れすぎている。日本画の改良には形というものを実物によって研究しなおさなければならない。

★片岡 球子

何ものにも束縛されず、自由であって、時の権力にも屈せず、生命を張って絵を描き続けた浮世絵師の彼らは、今の私にとって神様ともいえる存在なのです。

★横山大観

天霊地気

富士の美しさは、季節も時間も選ばぬ。いついかなる時でも美しい。それはいば、無窮の姿(無限)だからだ。

私の芸術も、その無窮を追う。

描く限り全身全霊を打ち込んで描いている。

★奥村土牛

大観先生は、心がなければ富士は描けないと言いました。富士を描くには精神が大事です。

★富岡鉄斎

万巻の書を読み万里の道をゆく

徽宗皇帝の猫

日本画の巨匠の言葉ばかりね。

あはは。

やはり、日本人だからなのかしらね。

他の人の言葉も書いているとは思うけど。(ノートはもう一冊ある。)

経済的事情で、何年か、絵に専念できなかったからね。

作品は作っていなかったということでもないが、ゴミみたいな素描が、山積みになり、粗製乱造をしたところで、精神が伴わなければ、絵もよくならないことが解ったので、しばらく、精神の修業に出たということでもある。

精神の修業か。。。。。

苦行かな。。。。

なかなか体験できない話満載で、日記には書けませんが。。。。

おじゃらの愛猫トの字

竹内栖鳳先生の、

★日本の絵は実物というものを離れすぎている。日本画の改良には形というものを実物によって研究しなおさなければならない。

という言葉は、深いね。

写実の元祖って感じかしらね。

若冲もスゴイけどね、現実離れした絵も多い。

写真のように描けばいいというものでもないけどね。

その辺、天心先生の教えとは折り合わない部分もある。

創作者というのは、自分の信じた道を貫かなければならない。

それは、他人がどうこう言ったからといって、曲がるものでもない。

ただ、本質というものも確かにあって、意固地に、自分の未熟さを押しとおすということとは違う。

やはり、イロイロな考えについても学び、何故、そういう考えが評価されているのかにも、自分なりの決着をつけねばならないのである。

岡倉天心は、東京美術学校の校長を、怪文書によるチクリで、除名されることになる。

内容は、女性問題なんかや、狂気の教えを辞めさせなければ、日本の美術はダメになるなどという抗議文であった。

凡人には、名月を、月を描かずに表現することなどできないからね。

そういう、自分ができない表現に対して、非道徳的な行動を傘に、失脚させるという報復に出たということになる。

世の常ね。だからといって、天心が、美術普及を諦めたということでもないし、苦難あればこそ、思想はより強くなったとアタシは信じている。

おじゃらの愛猫スカルとスバルと赤い花瓶

おじゃら画廊

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