◆◆◆ 1842 ★ 近代美術館 常設展-2 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送

(あとはいつでも見れますよん)

2013.10.3.

S嬢と二人で、作品を見て回る。

マツモトシュンスケや、萬鉄五郎、フジシマタケシ、アイミツなど、

お馴染みの作品が並ぶ。

もう、何年も近代美術館に通い続けているから、まあ、収蔵品というのにも、会い慣れてきているといったところ。

日本画の巨匠連の収蔵も素晴らしい。

横浜美術館のコレクションも良いと思うが、大きさや、幅の広さ、点数などは、やはりこちらの方が多いような気がする。国立という予算的な違いもあると思う。寄贈する人の数も違うだろうし。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

S嬢はどの絵も初めてみるものだったらしい。

S嬢「アタシは、勉強不足で、何も知らないから。」

オジャラ「タダで入れるんだから、沢山見た方がいいんじゃね?」

S嬢「電車賃だけだもんね」(→バス代は無料)

まあそんな話。それでも、付添い人は、慣れるまではいたほうがいいと思う。

彼女の場合、問題行動を起こす障害ではないので、電車に乗ったり、受付でちゃんと並んだりも出来る。

アタシは、まだ、見たことが無かったマティスの絵を発見して、ああ、やっぱり、マティスの絵なんだと、嬉しくなった。

遠目、マティスの絵かなと思っても、高い品だからか、なかなか本物ということもない。

ミロの絵の前で、アタシが一番好きな画家だよとS嬢に説明。

ポップな抽象画を見た彼女は、「アタシにも描けるかもしれない」と思ったに違いない。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

岡本太郎の絵は、流石に大きかった。

異様なエネルギーに包まれ、太郎節を放出させている。

何がなんだかサッパリ解らないが、彼の絵だけは見間違うことはない。

そういうものを個性というのだろうと思いながら、そういうものは、アタシの絵にもあるにはある。とも思う。

だけれども、太郎の絵は、たとえば、日本の美意識とか、皆が見たい絵かとか、そういう問いには離れた場所にある。

もし、彼が、岡倉天心の教えに触れていたらどうだったか。

やはり、反発し、新しい世界を模索したとも思えるし、多少なりとも、見る者を意識した絵に昇華したかもしれない。

どちらがヨカッタということではない。

ただ、太郎の絵の評価が、なんとなく実力よりも低く感じるのは、そういった解りにくさによる、共感値のマイナス点なんだろうと思えてくる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

異国に暮らしたこともあり、帰国後は、茶道や、着物などの和文化を取り入れた生活を始めた私は、やはり、日本人であることを誇りに思う。

そうして、そういった、日本にしかない文化や、慣習の素晴らしさを他国にも発信したいし、そういう作品は、いくつか作っている。

共感値というものは低いとは思うけど、それは、将来の評価の話である。

大観や春草のモウロウタイの作品も、日本ではサッパリと売れなかった時期があったという。

モウロウタイが、日本画の革新だったかと問われれば、そういう表現は、中国の水墨画にも昔から存在したと、アタシは思っているけれども。

理由は、筆と墨で表現できる範囲というのはものすごく限られているからで、若冲だって、菊の花を、輪郭線を使わずに描いているし、別段、大観らが初めて使ったという話は、ピンとこない。

どちらにしたって、アタシには、遠く及ばない世界であり、アタシごときが、どうこう、偉そうに語る話でもないのだが。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

これは、三丁目の氷川神社の、古い建物の方。

確か、ナントカブンカ財だったような気が。

千住の案内のときには、ちゃんと調べて入れときます。

おじゃら画廊

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