◆◆◆ 1821 ★ 川合玉堂の作品 ◆◆◆
インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)
2013.8.28. へぇ、これが。 というのが、今までの感想。 山種で開かれていた玉堂展。 さすがの品格にひれ伏した。 レポーターの松井冬子さんも、「日本画というのは、品とか、精神とかいいますね。」 などと解説されています。 どちらも表れているということのよう。 初期の、技巧を駆使した、荘厳な日本画よりも、日本の原風景を描くシリーズの、冒頓とした感じのほうが、やはり、絵としては、玉堂の絵になっている。 ということなのだと思う。 |
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品良く、毅然と描くのでは、絵というのは、似てしまうのよ。 特に、風景なんかを描いた場合にはね。 人物というのは、特徴を出しやすいけどね。絵がうまくなればなるほど、写真のようになってきたり、個性が埋没したりする。 技巧におぼれれば、絵の面白さ、自由さに欠け、目の肥えた人には、物足りなくさえ感じるということになる。 そういったことを超えて、うっひょーというのが、今回の感想。 知らないということは恥ずかしい。 玉堂が、何故、ここまで有名で、高値で、どの人も持ちたがるのか。 紹介された作品のほとんどが重要文化財というこの格。誰でももらえるということではない。 という謎は解けたということになる。 私は、良いものを悪いと言ったりはしない。 |
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玉堂先生は、膨大なスケッチを、知人にあげていたという。 そうして、死ぬ間際に、家族に残した言葉として、「私は、好きな絵を描き続けることの人生で幸せだった。ただ、有名になりすぎ、多忙になり、多くの方に絵を差し上げることができなかったことが残念だ。」 というような言葉を残されている。 絵をあげていたんだ。 大きいぜ。 まあ、スケッチだからね。それは理解できる。アタシも、素描は大量にあるけど、ゴミみたいなものだ。 それらは、ゴミのような絵と呼ばれ、保存のため、ゴミ袋の中に入れられた素描は山積みとなり、部屋のあちらこちらに隠されている。 ので、その一枚を探すことは不可能。 リスがクルミやドングリを、木のウロや、あちらこちらに埋めて隠し、そのあと、長い間、隠したことを忘れてしまい、木々が発芽する感じと似ているわね。 あはは。 発芽する日は遠い。 |
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玉堂の絵の特徴は、風景画は、とてもよく練られていて、スケッチから写真のように、風景をリアルに起こしてゆくのとは対照的に、人物は、サラリとしたへたくそな絵であるところだと思う。 あまりにも下手な絵なので、 今まで、へぇ、これが。 という感想だったということになる。 評論家によれば、「どう見ても下手ですけどね、何かから解放されて、上手く描くことへのこだわりから抜け出たんでしょうね。」 という感想。 絵がうまくなると、下手に描くということそのものが挑戦である。 アタシのように、一貫して下手な場合には、絶望の淵に立っているのと同じなのである。 |
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