◆◆◆ 1811 ★ アンドレアス・グルスキー展 → LOVE展 ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.7.31.

美術館巡回デー。

本日は、国立新美術館の、アンドレアス・グルスキー展(前衛写真)

ヒルズのラブ展。

天一保(テンイッポウ)の290円ビールで中華のミニ宴会

というコース。

アンドレアスのことは知らなかったが、一歩目から、もう、この人が前衛芸術家なのだということが解った。

どの写真にも意欲があり、見るものを引き込む新しさがある。

写真というのは、良い被写体を見つける目は当たり前として、それらを、写真家がどう切り取るか、最近では、どう(CG)加工するか。

そういう話になる。

芸術の骨子である、「自由な表現」ということにあてはめれば、同じ被写体を、どのぐらい他の人にはできない結果としてプリントするのかという話である。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

とりあえず、写真が大きいというのにも驚く。一枚で、畳三畳分ぐらいある写真もあった。

その隅々までピンボケということもない。

グラフィックの技術も一流ということである。

いくつかは、データをコラージュしていると思われるが、そうでないのかもしれない。

詳しいことは解らないまま拝見したが、解説がないと、何を撮影したのか理解できないこともある。

よく、前衛作品の解説があったほうがいいのか、なかった方がいいのかという激論になる。

もしくは、解説は、必要か、不必要かという論議になる。

アタシの回答は、見る者にしてみれば、それが、作家がどういう意図で作成したのかを知りたいと思うはずだと答えている。

だから、くどくど説明(たとえば、映像で2時間のトークとかね)される方が、何をどう表現したかったのか、とか、社会に何を訴えたかったのか、とか、時代をどう変えたいのかなどが、具体的に理解できる。

と言える。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

実際に、その話を聞いたから、その作品が理解できるということはない。

特に、アート初心者は、聞いてもサッパリ解らないというのが正しい。

個人的な感想を言えば、そんなもの無くても、心が動くことはある。

という話であり、結果が優れていれば、解説は必要はない。

逆に、解説が無い方が、見る側が、自分の経験値や記憶、読んだ本などの情報と重ね合わせて、自由に解釈できるともいえる。

そうして、自分の思いでなどと重ね、作品を楽しむことの方が、個々の記憶にはよほど残ると言える。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

同行の竜さんと、そんな話をしながら、ショップへ。

エディション付きの彼の写真が売られていたが、展示品よりもショボイ上うえに、1枚50万円もしたので、それはそれで驚いた。

そのあと、ヒルズに流れる。

love展は、今のところ、今年もっとも楽しんだ展覧会と言える。キッパリ。

全部が前衛芸術というのも「ツボ」だけど、愛をテーマに、さまざまな作品が並び、音声ガイドは無料。

音声ガイドが長すぎるというのが、竜さんとアタシの感想である。

見てる時間は5秒ぐらいなのに、ガイドは3分ぐらいある。

作品観賞が、ガイドの時間耐えられないという場合も多かった。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

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