◆◆◆ 1809 ★ ポスターのイラスト ◆◆◆

インターネットラジオFM北千住 ときどきゲリラ的に収録・生放送(あとはいつでも見れますよん)

2013.7.22.

久しぶりにポスターの仕事が来る。

諸事情があり、昔のようには引き受けられない。

が、まあ、去年の今頃よりは、可能性がでてきたということになる。

人生には優先順位というのがあり、その優先順位が、変更になることもあるけど、概ねは、信念に従うという筋には間違いがない。

今年の花火も堪能したし、雑誌の取材も来るし。順調である。

星の数ほど店があれども、有名雑誌の取材が勝手に来るというのは、やはり、箱の持つ特性もあるが、特殊な職業だからだと思う。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

別段、作品に価値があるということでもない。若いライターさんや、写真家の方は、一生懸命に取材して下さった。

こんなに若い方に任されるのだから、老齢に仕事が回ってくるはずがない。

というのが素直な感想である。

本日は、薄い鶯色の紗の着物に、夏向きの染めモノの帯、ブルーベースのバティックの半襟に、赤い帯上げ。

ピンクで花柄のかっぽう着という衣装。

着物というのは、どの人の心をも和らげる。民族衣装という、心のノスタルジアなのか。

女性のカメラマンさんは、何ショットか撮影し、すぐにo.k.をくれるので助かる。

何百枚撮ったからといって、実力以上に撮れるということでもない。

写真に限らず、素描であっても、ある種の気合的なものも必要だと思う。

短時間で、その人の本質を引き出す写真が撮れるというのが、真のカメラマンだとは思うが、本質が出すぎると、悪い面ばかりが引き出てしまうということもある。

芸術家であれば、本質的なものを表現すべきだし、ポートレートであれば、その人の理想の姿を描いていなければならない。

アタシも、なかなか観賞の評論がちゃんとできるようになってきた。

沢山見てるもんねー。

特に、あの、退屈な絵たちも含めて、本当に大量に見て回っている。

そんな自分を褒めてあげたいわ。おほほ。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

この絵のどこがいいのか、全く解らない。

そういう絵が並んでいるということになる。

特に、美術館の企画展などは、有名絵画数点で客寄せして、その他のゴミみたいな作品も同時展示というのが常道である。

であるからして、見る側は、どれが名画で、どれがゴミなのかを理解して回ると、効率は良い。

が、良く分からないまま、どの絵もいい絵だという理解で進む素人さんが多いため、絵の評価というのが混沌としてしまうのだ。

この前のダビンチ展なんかでも、ダビンチの油画はたった二枚。あとは、彼の絵を模したり、参考に同じ構図で描いた聖母子像とか、そういうたぐいの作品が並んだ、とんでもない展覧会だった。

アタシでなくても、激怒して、金返せと言われても仕方がない内容。

展示は立派だったし、ダビンチの有名なメモ書きのような作品の展示は充実していたと思うが、同時期に開催されていたラファエロ展の完成度の高さと比較すると、ホント、ゴミにしか見えなかった。

アタシは、学芸の方のご尽力だとか、研究だとか、名画を借りるという難しさも理解できるため、頑張りは伝わってきたが、それでも、文句を書かずにはいられないという内容だったということになる。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

よく、絵を書かない人に、この絵(名画と呼ばれている品)は、どこが良いんですか?

と、絵の解説を求められることがある。

絵を拝見し、「100年前は、こういう表現でも良かったんですけどね。今ではありきたりですけど」

と答えることもある。

画家たるもの、新しい表現にチャレンジしなければならない。

草間彌生先生いわく、「ありきたりな表現だけでなく、奇抜であるとか、ハッピーとか、嬉しい、元気が出る的な、ポジティブなコンセプトで、マスコミなどの話題になることも意図して発表している」

と語られていた。

まあ、結果がそうなっているし、今や、パリの現代美術館で個展という快挙。

作品の点数というだけではない。

ワタリウム美術館3/23撮影のおじゃらの巨大ポートレート

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