◆◆◆ 120 ★ 油絵 ◆◆◆

2004.4.26

結局、黄色でアタリをつけて、何度も塗り重ねるような描き方の油絵に飽きてしまう。

人間というのは、飽きっぽい。

なかなか出来上がらない絵にアタマに来て、ワガママさんの絵を見る。

そうして、右を向くと、カツミさんの絵がある。

ワガママさんは、『こんなんでも、二時間くらいはかかるバイ』と話されていた。

カツミさんは、30号のカンバスに、ササっと筆を入れて、5分くらいで描き終わったら、奥さんに、『終わりなの?ホントにそれで終わりなの?』と詰め寄られ、仕方が無いから、もう少し描き込んだと話しておられた。

『時間をかけたから、いい作品とは限らない。』

という事実があることである。

時間がかかったかどうかよりも、もっと大切なモノがあるということだ。

この絵はちょっと暗かった。

背景の紫に、白をほんの少し混ぜればヨカッタのに。

などと、今更考えても、どうにもならないことを考えているアタシがいた。

後には戻れないということは多い。

下塗りを二回したSMのカンバスは、押入れの中で忘れられていた。

小さい絵は、手軽でいい。

気軽に飾れて、お部屋が明るくなるような作品を描きたい。

ガーベラの花をナイフで描いたアタシは、ガーデンにあるサボテンの鉢植えを思い出し、一枚描くことにする。

背景をどうするか考えたが、グリーンとオレンジのコントラストは完璧なので、白のままいくことにする。

まるで、絵手紙みたいな、はみ出たサボテンだが、こういう無難な作品という方が、人物系やヌードよりも、よっぽど欲しいと思う人は多い。

無難な人生というのは、ある種の幸せだ。

痩せていくお猫さまは、エサ置き場の前のイスで待ち続ける。

エサは、ほとんど食べられないのだが、食べたいというキモチはあるみたい。

何を与えても食べないので、エサ代がかさんでこまる。

なんで、マグロのサシミを猫が食べて、アタシが、アラを食べているのかがよくわからない。

例えばアジにしたって、彼女が身で、アタシが皮とホネのスープといった具合である。

立場が逆転した彼女は、『猫大王』として我が家に君臨し、ワガママ放題の晩年を送る。

そうして、飼い主が、『幸せな猫だった』などといい、ワガママにさせたことに満足するという構図である。

サシミは、自分で食べたほうがよかったかもなぁ。

アイ・エムプレスさんの表紙絵の一部より

私ごとで大変恐縮なのだが、実は、二重瞼の手術というのをすることになった。

バリ島にいる頃から、マツゲが目に突き刺さり、目が痛いので、自分で抜いていたのだが、最近、耐えられなくなってきて、とうとう眼科に行く。

ヨボヨボのセンセイは、『邪悪なマツゲを抜きますから』などと言い、高そうなピンセットで、マツゲを何本か抜いてくださったが、『自分でも抜いていますねぇ。こんなにあるんじゃ、手術して、マツゲが目に当たらないようにするほうがいいですよ。』

などと、アタシを説得するのであった。

そうして、アタシの顔をマジマジと見て、『今よりもキレイになりますよ』

というのを二回繰り返した。

うーむ。これは、眼科のセールストークなのか?

センセイっ、それは、アタシが今はブスだってことなんっすか?

アタシとしては、目が傷ついて、他の病気にかかったりするのを最も恐れているので、とりあえず、目を傷つけないような対策を打たなければならない。

保険で二重にできるのであれば、安く済むしなあ。

昔は、超一重の目が、キライでなかったといえばウソになる。外国を旅するようになり、彼らにしてみると、アタシは、とても美しいらしく、人間の心理というのを理解できた。

無いものに憧れるということのようだ。

日本人は、外国人のように、ホリの深い顔やパッチリオメメになろうとするし、外人さんは、手術ではなかなか手に入れられない、ノッペリしたアジア顔を美しいと感じる。

外国であんなにキレイだと言われるのであれば、日本ではブスでも構わないと考えて、結局瞼の手術などしなかった。年を取れば、どうせ顔の水分が減ってきて、肌がたるむので、いつかは二重瞼になるので、ムリに急ぐこともないと思っていたのである。

どっちにしたって、どんな二重にするのか、自分で考えなければならないみたいである。こっ、この絵を持って行き、こんな感じで・・・・というのはどうなんだろう。どんな顔になるのか楽しみだぜ。

これ以上キレイになったら、夜とか怖くて一人で歩けないかもなあ。(ウソ)

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