◆◆◆ 119 ★ 書道を習う ◆◆◆

2004.4.20

小さい頃、書道を習っていた。

全く上手くならなくて、センセイにも、『あなたの字が上手くなるのは、一生ムリ』と言われた記憶がある。

そんなもんで、アタシも、字もずっと上手くならないのだと信じていた。

そんでもって、書道も辞めてしまったのだった。

(正確には、センセイがポックリと・・・)

長いこと、書など書くことも無いままだった。

そうして、あのときに、字が上手くならなかったのは、センセイの助言を全く聞かなかったからだということが、今更ながら理解できたのだった。

絵手紙を始めるようになって、絵はかなり上達したというのに、文字を入れると、文字が作品を台無しにしてしまうことに気づいたアタシは、書の練習をしたいと、真剣に考えるようになった。

文字が下手なままだと、作品の価値はいつまでも低いままだからである。

そんなこんなで、バリにいた頃から、書の練習を始める。

半紙が手に入らないので、コピー用紙を利用。

もったいないので、半分にカットする。

そんでもって、万年筆用の水性インクを、更に水で薄めて利用。和筆で練習を繰り返した。

よくもまあ、そんな環境で、書の練習をしようとしたもんだぜ。

俳句の勉強というのも兼ねていたので、毎日俳句を書き写すというのを繰り返す。

色を塗ると多少見れるのだが、字はたいして上手くはならなかった。

コシノヒロコ先生書。

帰国して、俳句の書写を再開する。

書道の筆さばきというのは、全ての筆遣いに共通する。

思うような文字が書けるというのは、思うような絵が描けるというのに、非常に近いのである。

であるからして、勤め人時代、絵を始めたいという人を集めて、昼休みなどに絵を描いていたとき、始めたいという人には、『自分で書いた文字が読めるかどうか』という質問をすることにしていた。

自分で書いた文字が読める程度の人であれば、絵は必ず描けるようになる。

アタシには、確信があったからである。

今回、書道教室に行く。

初心者は、先生の周囲に集められ、初心者用手本というのを渡される。

センセイは、『書きたい書があれば、初心者でもそれを書いていいんですよ。』と最初に話された。

そうして、時々巡回しては、至らない場所を指摘してくださり、更に誉めてくださる。無料なのになあ。

センセイは、二つの事を教えてくださった。

●手本を見ながら書いても、どの人の書も、手本と全く同じに書けるということはあり得ない。

●基本は、『止め、はらい、跳ね、筆の入りなどでそれが出来るようになったら、好きな方向に進みなさい』

センセイよ、ビッグだぜ。

オジャラよ、やればできるぢゃないか。

といいながら、バランス悪し。

なるほど。手本を見ながら習得すべきは、筆遣いの基本ということのようだ。

センセイは、アタシの、つたない書写も見てくださり、『これは、これで自分でどんどんと書きなさい。ここでは、二回位は、基本的な練習をするように。』

にっ、二回くらいって、今回と次回っつーことっすか?

そうして、今まで、こぢんまりと書こう書こうとしていたアタシは、この言葉を聞いて、手本と同じ大きさに書くという作業を放棄。

全神経を、基本的な筆さばきの習得に集中することにする。

手本と同じように書けるようになるというのが、ゴールではないということを理解したからである。

ということで、文字は、全く変わる可能性がでてきて、山頭火は、また最初からやり直しというムード。

500枚まで来たのになあ。

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