◆◆◆ 098 ★ 絵を交換する ◆◆◆
2004.3.17
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ワガママさんの作品の実物は、何があっても拝見したいと思っていたので、一枚持ってきていただく。
思い切り明るい奴というリクエストで、悩んだ末にこれに決めたのだそうです。 そうして、ずいぶん昔に、紺色の、花模様の入った額縁というのを仕入れていたのだが、それがこの絵にピッタシなのだった。 ワガママさんは、ご自分で、この額に作品を入れてくださった。 ありがとうございます。一生大切にします。 物凄い迫力で、もう、展示スペースが少なくなってきたアトリエに掛けられる。カツミさんの作品と向き合った位置にあるので、左を向けばワガママ、右はカツミ状態で、アタシは、その絵の真ん中で、制作活動を行っているという事になる。 そうして、時々首を上げては、アタシの絵は、まだ自由になりきれていないと思わされるのだった。 嫌になるぜ。 |
以前交換させていただいた、カツミさんの作品の一部 |
オジャラは、ネット上のギャラリーというのを沢山見ているけど、欲しいと思う作品というのはそんなに多くない。
見れば見るほど、立派な作品なのだが、別に欲しいとは思わないというのが多い。 身近な所に置きたいと思うのには理由があるのである。 モチロン、一番大切に考えているのは、作家さんの個性である。 作品を見ただけで、この人の作品だと解る作品になど、そんなにお目にかかれないということなのだ。 こんな人たちがネットの中に埋もれているなんて、全く持って、驚かされるのである。 カツミさんの絵も、ワガママさんの絵も、瞬間的に一気に書上げてしまう作品だと解る。 描くのがメチャクチャ早いに違いないのだ。 そうして、その線には、どこまでも迷いが無い。 |
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ワガママさんは、オジャラと絵を交換したから、絵は一枚持っているというのに、版画の小品を買ってくださるという。
そうして、黒いインクで刷られた作品に、色をつけるように注文が出される。 『色がないとね、色がね。』 そういって、お代金に、少し上乗せしてくださった。(大道芸人へのチップに近い???) オジャラは、そのお心遣いで、前から欲しかった宮本三郎の画集を買う。 探している品物が見つかる運も継続中。 |
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彼の作品は、お宝鑑定団で一枚作品を見ただけだが、オジャラは気絶しそうになった。 なんていう絵なんだよっ。 サブロー先生は、毎日モデルに来てもらって、裸婦を描いたのだという。 額縁屋のオヤジは、今日ウチに来て、早速宮本三郎の画集を広げ始める。 『彼の作品はいいね、裸婦も、風景も、花もみんないいっ。アンタもこれくらいのを描けよ。』 おいおいっ。オヤジよ。それくらいのを描けていたら、とっくに画家になっているぜ。 オジャラの場合、月一回のデッサンに、週一のクロッキーを追加する程度では、到底足りないとは思うのだが、それでも、行かないよりはマシである。 デッサンを続けないと、基本的な描画能力が落ちてきてしまい、作品に響くのだ。 近くでデッサン会があるなんて知らなかったぜ。セイコ先生の作品を見に行ってヨカッタ。ご縁というのは、案外近くにあるものなのかもしれない。 |
ダンボールと、肉用トレイを使ったエコ版画は、鳩や天使の形に切り取られる。 気分は『できるかな・・・はてさてふふーん。』のノリ、頑張るわ。(アタシがのっぽさんで、猫はゴンタ君なのねぇ。おほほほほ。) |
それから、応募はしないかもしれないけど、とりあえず、公募展用の作品は、新規に作ってみることにする。 ダメでも仕方がない。力が足りないというだけの話である。 私には、絵の価値が解るから、完成品の出来によっては、応募前の時点で、それなりの出来なのかどうかの判断がつき、来年に見送るかもしれない。(公募展に出品するには、金がかかるから。) でも、ある程度の作品を完成させるということにチャレンジしないと、技術は上がらないということにも気がついてきた。 こんなことでもないと、大きい版画など作ったりしない。 大きい版画を作る作業というのは、小さい版画と比較して、構図や、バランス、色の配置、ストーリーや瞬間表現など、イロイロと考えることが多いのだ。 作ったことが無ければ、その技術を身につけることも出来ないということである。 葉書大の習作ばかり作っていても、仕方ないもんなあ。 |
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