◆◆◆ 078 ★ 絵の価格について考える - 3 ◆◆◆

2004.2.17

モディリアーニの場合どうだったのか?

友人のギョームが、モディリアーニを援助したいと思い、絵を描いてくれと頼んだそうなのだ。

モディリアーニは、スケッチ一枚10フランに、アルコール代を少々請求したらしい。

100年位前の話だと思うけど、当時の10フランって、一体いくらなんだろう。

ユーロになってしまい、ますます不明。

10ユーロだとしたら、1枚、1350円程度ということになる。

彼は、何枚ものスケッチを、物凄い速さで描いたらしい。

そんでもって、そのスケッチを構成して、夫婦の油絵を一日で完成させたのだそうだ。

ギョームは、モディリアーニをもっと援助したかったので、『もっとゆっくり描くように』と依頼すると、『絵をダメにしたいのなら、引き受けよう』と、モディリアーニはその要求に応じたらしい。

モディリアーニの、その時のスケッチを見る。

『なんて無駄の無い線なんだろう。』とため息がでる。

ちゃんとした線が、自由に取れるようになると、絵は、短時間で描けるようになるということに他ならない。

モディリアーニは、こうも言ったという。

『僕の絵には、この価格以上の価値があるけれども、この価格でいいよ。』と。

どうせ、画家になど、たいしてお金は入らないのだ。

死後に、いくら値段が上がったからといって、今寿司が食べられるワケではない。

絵の販売というのを、勘違いしてはいけない。

生きているうちに、絵を描いて、絵を売って生活できれば、それでいい。

別に、不当に高い値段で売って、豪邸に住みたいと思っているワケではない。

誰かと一緒に大儲けして、世界的に有名になろうという話しでもない。

多くの画家は、そう考えているはずなのに、絵が売れないのは何故なのか。

途中で、値上がりしすぎているということなのである。画廊だって生きてゆかねばならないから、ある程度は仕方の無い話だと思う。画家だって、一生懸命作品を描けば、時間もかかる。

描いた絵は、作家の取り分の倍額で販売されるから、全部売れることは有り得ない。

そうすると、売れた分の食い合いということになり、画家だけは、結局貧乏な生活が続くということになる。

絵の価値というのは、買う人が決める。

よーく考えると、そういうことになる。

お世話になっている不動産屋の社長は、いくつかの絵画を買った話をアタシにする。

社長。『今度、富士山の絵を買おうと思う。ちょっとお金を出した絵は、ホントウに迫力があるんだよねー。』

アタシ:『そうですね。値段というよりは、作家によって、全く違いますね。』

社長。『どんな絵がいいんだろうねー。』

アタシ:『ピピっと来る作品があって、ご予算があれば、いくらでもいいじゃないですか。気に入ったのを買うべきです。 絵は、一生見るものですから、多少払っても、高くても、安くても、気に入った奴にするべきですよ。』

社長:『そーだよな。安い絵は、結局いい絵と並んで掛けていると、差が出ちゃって、飽きてきちゃウンだよね。』

安い絵と、いい絵の話がごっちゃになっているが、まあいい。彼との会話は、いつも、かみ合わないのである。

どちらにしたって、絵の価値は人それぞれだということは、理解できた。

今日は朝から、イロイロと考えて疲れてしまう。

自分のノウミソを整理するのにはヨカッタと思う。

アタシの場合、花の油絵であれば、キッカリ二時間で描きあがるのだから、2-3万円で販売できれば、利益率100倍ということになる。ま、独学だけど、それくらいの価値はあるだろう。うん。

一ヶ月に5枚売れれば10万円になり、10枚売れれば20万円の売り上げになる。

たはは。取らぬ狸状態。そんなには売れないんだけどね。

それでも、絵が一枚売れれば、大量の画材が買えて、また少し、絵を描ける時間が長くなる。週に2-3回、パートにでも出ようかとも考えるけど、絵を描く時間が減るのは、最も避けたい事態である。

私の絵を使って、本の表紙の装丁などのバイトができるといいんだけどね。

今やるべきことは、とりあえず、手持ちのカンバスに、全部絵を描いて、まだ描いていない紙に、書やスケッチをすることだと思う。

いまある紙に、全部描くだけでも、あと一年はかかりそう。

印刷屋のオヤジは、タダで紙を大量にくれるしなぁ。メモ用紙スパイラルだわぁ。

ジョアン・ミロみたいに、自由な線を手に入れられるまで、ガンバルわ。

Established 1998 Rica's Bar WEB SITE & Since 2003 Atelier Ojara.
Copyright (C) All Rights Reserved by Rica Ojara.