◆◆◆ 070 ★ 棟方志功、ルノアール ◆◆◆ ◆◆◆

2004.2.5

猫は、相変わらず、吐いたり食べたりを繰り返している。血液検査の結果、肝機能障害なのだそうだ。

バリで、毎日、鳥肉(油タップシ)などを食べさせていたツケが廻ってきたのだろう。

固形物はもう受け付けず、仕方が無いので、フードプロセッサーを買い込み、日々、猫のエサ作りをする。

バリにいたときに、毎日彼女のエサを作っていたことを思い出し、それは大して苦にはならなかった。どんなこともムダにならないものだと思ったりもする。

病院でお薬を頂いているのが効いているのか、猫は、毎日外に出かけ、用を足しては戻ってくる。

そうして、油臭いアトリエには、長いこと連れて行っていなかったが、定期的に吐いてしまいそうになる猫を外に出すという作業はどうしても必要で、アトリエに連れて行って、出したり入れたりを繰り返す。

こんな状態でも食欲はあり、この冬は乗り切れる予定である。

それにしたって、ネットの方々にお会いすると、みなさん『猫はどう?』などと心配してくださる。

イイ人が多いぜ。

下は、オジャラの木版画の試し刷りです。

ムナカタ先生のではありません。

念のため。

渋谷の文化村、ザ、ミュージアムでは、棟方志功生誕100年記念の展覧会が開催されていた。

今回の展覧会はとても充実していて、今まで見た彼の展覧会のウチで、最も満足できた。

そうして、前にも何かで読んだことがあったのだが、今回、展覧会の張り紙の説明文で、また思い出す。

棟方が、ピカソの絵を見て

『ピカソの絵は、サインなど見なくても、ピカソの絵だということが解るということがスゴイ。画業というものは、こうでなくてはならない。』

と話していたことである。

そうして、ピカソ好きの私は、棟方のこのコメントにまた、心を震わせて、新たなる気持ちで創作活動に取り組もうと思うのである。

そういえば、ウチの母は、棟方の絵を見て、

『あら、アナタも、ヌードの絵に、バラの花を描き込みなさいよ。そうしたら、売れるかも。』などと、真顔でアタシに訴えるのだった。

パクリ体質は、遺伝子レベルだったのか。

それじゃ、やっぱ、取り除くのはムリだよなあ。

文化村には、次回展覧会の予告がある。

ルノアールかぁ。

展覧会を見て気づいたのだが、私は、ルノアールの油絵というのを、ほとんど見たことがなかったのである。

ルノアールの画集は何冊か持っていたけど、実物を見るとなると、敷居が高い場所にある。

ヨーロッパであれば、学生は、美術館は全て無料なのにも関わらず、日本では定価の半額も取りやがる。

昨今の教育現場では、『美術の授業を廃止しよう』などという声まで出ているのだそうだ。

そんな程度の教育しかできないから、小市民は、印刷物と、ホンモノの絵画との見分けすらつけられない。金がある人は贋作を掴まされ、金が無い人は、アートなど全く飾らずに一生を過ごす。

それでも、友達からもらったポストカードを、ポッと飾ったり、気の利いた雑誌のイラストなんかを、壁に貼り付けたりして楽しんでいる人も、いないわけではない。

絵画と呼ばれる品々は、値段が高すぎるぜ。

これは、まだ未完のコマンちゃん。

ルノアールへの道は遠い。

いつになっても仕上がる気がしないぜ。

そういえば、ルノアール展の入り口に展示してあった、大きな人物の絵の前で、3人ほどの金持ちそうなオヤジが、絵を取り囲み、『この絵で、一体、いくらくらいするんでしょうね?』と、別の男に尋ねていた。

尋ねられた男は、『数千万は下らないです。多くは、所蔵品ですので、売りにはだされません』などと説明しているのが聞こえる。

品の無い観客である。

日本の芸術家が育たないのは、収集家の質が投機目的だからだと思う。

こんなに優れた芸術品の前で、絵も大して見ずに、よくもまあ、そんな話が出来たものだぜ。

こんなに透明感に溢れ、ツヤツヤと、やさしい作品を作れるなんて、ルノアールは、頑張ったぜ。

不透明の絵の具に、透明な絵の具をパサパサにして、少しずつ塗り重ねたなどと、壁面に説明書きがある。

インク講座卒業のオジャラは、こんな文を読んだだけで、ルノアール絵の具の謎を一つ解き明かし、自分の作品に取り入れてみようと思うのだった。

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